皇道派の陸軍大将・真崎甚三郎
山口富永著 国民新聞社刊『近衛上奏文と皇道派−告発・コミンテルンの戦争責任』書評

(国民新聞平成23年3月23日号掲載)

 近年、支那事変の拡大から大東亜戦争に至るコミンテルンの謀略活動の全容が知られつつあるが、軍部に対する革命工作や統制派と皇道派の確執については、その真相が未だ十分に理解されていない。暴力革命は軍隊を手名づけ、これを暴力装置としてコントロールできなければ成就しない。本書は、この共産主義革命にとって最も焦点となる部分を、皇道派の陸軍大将・真崎甚三郎の人物像を偏見無く、正しく伝えることにより、見事に解明する。
 真崎大将は、愛国心と正義感に充ち、事に臨んでは利害得失を離れて公に報いようとした正真正銘の日本軍人である。その誠実さは名将・乃木稀典にも匹敵し、大正末期から昭和初期、デモクラシーやシベリア出兵の影響で規律が弛緩し、易きに流れる風潮にあった陸軍内で不正を排し、軍律を回復し、将兵を正しい方向に導くことで陸軍を健全化した偉大な指揮官・教育者であった。若手将校に浸透しつつあった国家社会主義の本質が破壊と闘争の思想であり、大御心を体し調和合一を求め、無限の発展性を有する皇道精神とは正反対のものであることを看破した真崎大将は、このマルクス主義的な全体主義に対する国體の擁護に尽力した。このように、コミンテルンの軍部内への謀略にとって、最も目障りで排除すべき存在が真崎大将であった。
真崎大将によれば、日本の滅亡は重臣の無智、私欲と政党、財閥の腐敗に因るという。こうした重臣や政権亡者の高級軍人、そしてコミンテルンに操られた統制派の陰謀により真崎大将は弾圧され、二・二六事件の黒幕にでっち上げられて今日に至っている。
名将・真崎甚三郎の名誉回復こそが混迷を極める現代日本を救う道である。

評・家村和幸 日本兵法研究会会長

2011/3/23