我が武なるものは天地の初めに在り
▽ごあいさつに代えて 〜我が祖国のかたち〜 

 日本兵法研究会の家村です。「この国のかたち」は、司馬遼太郎の歴史随想(エッセイ)集ですが、我が祖国「日本」の形には、きわめて深い意味が隠されているような気がします。 

 『日本書紀』によると、初代 神武天皇はご即位の後に奈良盆地のとある高い丘に登って、そこから国のかたちを眺め、なんとトンボが交尾しているような形に見えるなあ、とおっしゃられました。私は恥ずかしながら、未だに「トンボの交尾」と日本列島の形が一つに結びつかずに悩んでいるのですが、これとは全く別に、かつて何気なく地球儀を眺めていて、ふと気づいたことがありました。 

 それは、我々が生まれ住むこの日本列島が「世界の縮図」だということです。つまり、本州はユーラシア大陸、北海道は北米大陸、四国はオーストラリア、九州はアフリカ大陸にそれぞれ対応しているのです。 

 北海道と北米大陸は新大陸で、アイヌやインディアンのような先住民族はいましたが、多くの開拓者によって切り開かれた土地に今では多くの移住者の子孫が住んでいます。 

 九州とアフリカ大陸は旧大陸で、天孫降臨の地が高千穂の峯(霧島山)ならば、人類発祥の地がたしかエチオピアでした。 

 本州とユーラシア大陸で一番高い山は富士山とエベレスト、その南には海に突出した牧の原とインド、伊豆半島とインドシナがあります。 

 伊勢湾はペルシャ湾、琵琶湖はカスピ海、瀬戸内海は地中海、宇治付近の淀川は昔は大きな沼地だったが、それが黒海でしょうか? 

 隠岐諸島はイギリスとアイルランド、仙台湾は渤海と黄海、牝鹿半島は朝鮮半島、そして牝鹿半島の先っぽに小さな島があります。その名も「金華山」。まさに「黄金の国ジパング」ではないでしょうか・・・。 

 ついつい忘れがちなのが四国とオーストラリアですが、その中心地の経線がぴったり同じなのも何かの縁なのでしょうか。 樺太はグリーンランド、択捉・国後はキューバとジャマイカ・・・。 

 その後、友人からのメールで、昔、大本教の出口王仁三郎というひとが「台湾が南米大陸である」と言っていたことを知りました。確かに台湾の地図を上下ひっくり返すと南米大陸に似ています。 台湾東部の山脈がアンデス山脈、西部の平野部がブラジル、そしてアルゼンチンとチリは陸続きになった南西諸島といったところでしょうか。 

 春夏秋冬、亜寒帯から亜熱帯まで、世界中の気候がこの日本列島にはあります。地形にせよ、気候にせよ、この国は神が創った国であり、我々は神々の子孫なのだという日本古来からの教えが、やけに納得できてしまいます。そう言えば、古事記にいう、天つ神の伊邪邦岐(いざなぎ)・伊邪邦美(いざなみ)二神に給いし「是の漂える国」とは「人類の生活する世の中」「全世界」のことであり、日本書紀冒頭の「国常立尊(くにとこたちのみこと)」は「この人類世界を常時存立せしめる神」なのだと聞いたことがありました。 

 さて、それでは本題の「闘戦経」に入りましょう。今回は、日本人にとって『武』とは何か、についての根本義に関わる重要な部分です。それゆえ文中でも容易な言葉で言い尽くしがたい、やや難解な箇所があるかもしれませんが、今回に限りどうかご容赦ください。 

 ▼天地に先だつ神武 

 我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一気に天地を両つ。雛の卵を割るがごとし。故に我が道は万物の根元、百家の権與なり。(闘戦経 第一章) 

 我々日本人にとっての武というものは、天地開闢(かいびゃく)の初めから既に存在していた。つまり、宇宙を構成する「時間」「空間」「物質」「力(エネルギー)」が生成した時、『武』は万物を生成するため一気に発動し、この「空間」を天と地の二つに分けたのである。 

 それよりも太古の昔、天地が未だに分かれていない間は、「陰陽分かれず混沌鶏子の如し」と言われ、それはあたかも卵の中に黄身と白身だけがあり、羽翼も手足も無いような無秩序な状態であった。然るに、一気勇猛な力が存在してこれを統制することにより、卵の黄身と白身が自ら定まって生命を発動し(生成)、雛となり(化育)、殻を割って生まれ出るように、その混沌とした空間を両断して清いものは上昇して天を構成し、濁れるものは降下して地を構成した。 

 こうして、この世に秩序を生み出した「一気勇猛な力」が我々日本人の『武』である。天地は武が一気に発動して生じたがゆえに武は万物の根本であり、この武の道が確立された後に、これを追う形で百家の道も出来、種々の業も成就するのである。 

 全てに先んじて存在し、宇宙元霊の発動力そのものである『武』が一気に天地を両つということは、全ての生命が実在した生命を起源として「両つ」、すなわち細胞分裂や種の分裂のような分裂を重ねることによって今日まで生成化育してきたという普遍の真理をも物語っている。我が国においては武という字は「む」と読む。これは「むす」「むすぶ」「むすこ」「むすめ」の「む」、「産む」の「む」である。「むす」とは、ものの生ずることを意味することから、古来日本人は武と産を一体のものとしたのである。 

 武という漢字の起源は「戈を止める」であり、武器の威力をもって兵乱を未然に止めることを意味している。漢字発祥の地であるシナでは「文徳を先にし、而して武力を後にす(説苑)」というように、武は文と対極をなす消極的なものであり、「兵は不祥の器なり。君子の器に非ず(老子)」として殺戮的で不吉なものとされてきた。 

 これとは対照的に、古来我が国における武の効用は、神武天皇の東征などにも見られるように、まつろわぬ者を従わせ、秩序ある社会を創り、そこに育つ文化や文明を守ることにあった。このように、我々日本人が踏み行うべき「武の道」というものが、真にして直、誠にして正しく、清くして明朗なる道であるからこそ、万物の根元たりうるのである。 

 ▼文武一元と武先文後 

 これは一と為し、かれは二と為す。何を以て輪と翼とを諭らん。奈何なる者か、蔕(へた)を固め華を載する。信なる哉。天祖先づ瓊鋒(ぬぼこ)を以ておのころ馭(じま)を造る。(闘戦経 第二章) 

 日本では昔から「文武両道」と云われるが、『闘戦経』では、さらに武と文を不離一体のものとする「文武一元」が、根本の理念である。これとは反対に、シナの書物においては、武と文を二つの全く異なるものと捉えている。つまり、古来我が国における『武』が文と一体として機能することにより、産・活・生・吉・福・盛をもたらし、国というものを修理固成するものとされてきたのに対し、シナにおける武は、文と対極を成すものとして機能し、滅・殺・死・凶・禍・衰をもたらしてきた。しかし、これは天地自然の理に背くものである。このように武と文とを別々のものと捉えるならば、どうして一つの車が両輪の働きで地を走り、一羽の鳥が両翼の羽ばたきで空を飛ぶという道理を悟ることができるのであろうか。 

 さらに文と武は一元であるとはいえども、これら二つは同時に生じるものではなく、武が先にして、文が後である。武を第一となし、文はその次であるというのが、「これは一と為し、かれは二と為す」のもう一つの意味するところである。従って、文と武を車の両輪や鳥の両翼に譬えるにしても、翼や車輪のように相並んで先後の区別なしと解釈するのは誤りである。なぜならば、全ては武を以てなされる天地の開闢(剛)が先にあって、文化・文明(柔)はその後に生成発展するからである。 

 自然界においても草木を見れば、まず蔕(へた・うてな)がしっかり固まってから後に、柔らかく美しい花が開くように、武力によって地上に平和が創生されて、初めて文化というものが花開くということである。ここに武と文との不離一体の関係を確信することが出来るのである。 

 なるほど、このようにして見れば、天祖の別天つ神五柱から「この漂える国を修め理り固め成せ」と命ぜられた伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神が、天の浮橋の上に立って、天の瓊鋒(沼矛)という「武器」を以て、高天原から初めて降りたまう場所である於能碁呂嶋(おのころじま)を一番先に造ったという意味がよく理解できる。つまり、「武は文を含む一切に先立って存在し、まず武によって国土全体が統一された」ということなのである。 

 ▼剛 毅 

 天は剛毅を以て傾かず。地は剛毅を以て堕ちず。神は剛毅を以て滅びず。僊(せん)は剛毅を以て死せず。(闘戦経 第五章) 

 剛毅とは、強健で充実し、その活動が真鋭果断で積極的なことである。「剛」は堅強不屈という意味であり、「毅」は困難に耐え忍び、外の物に撓(たわ)まないことを言う。孔子も論語の中で「剛毅木訥 仁に近し」と説き、真正直で勇敢で質実で寡黙であるということは、仁徳(人間の自然な愛情に基づいたまごころの徳)に近いとしている。世の中の森羅万象全ては剛毅であればこそ、永久普遍なものとなりえるのである。 

 天は剛毅であるからこそ、太陽が常に熱く燃え続け、月星の天体運行を正常ならしめながらも永劫に覆らないのである。 

 地は剛毅であるからこそ、常に静にして山川草木や大海を存在せしめ、あらゆる生命体に生存空間を提供しながら決して沈下しないのである。 

 神は剛毅であるからこそ、自ら生命が充実し、聡明にして満ち足れる唯一の存在であり、万物を生成化育しながら永久に滅しないのである。 

 仙人は遁世無為ではなく剛毅であるからこそ、よく神通力を発揮し、変通自在で四海の外まで遊びながらいつまでも死なないのである。 

    このように、『武』が一気に発動して生成したとされる天・地・神・仙の働きは、全て剛毅の致すところである。剛毅であるがゆえに、天・地・神・仙は無窮にして不滅であり、しかも純一である。 

 上代(飛鳥〜奈良時代よりも昔)においては、天皇が皇軍の核心であり、兵馬の権を握っていたが、その中でも初代 神武天皇の人柄は剛毅そのもので、優れた軍司令官であったといわれている。 

 ▼造化の武断 

 風黄を払い、霜蒼きを萎ます有り。日南して暖無し。仰いで造化を観るに断有り。吾武の中に在るを知る。(闘戦経 第七章) 

 天は春夏秋冬を順序正しく繰り返しながら、万物を生成化育する。この働きを「造化」という。それは、輪を描き端無く循環しているかのようであるが、しかしよく見るとその中にも断絶のような状態がある。 

 秋には冷たい風が黄色くなった木の葉を払い散らす。それはあたかも古来我が国で清浄を尊んで、罪科(つみとが)や穢れ(けがれ)をはらえ清めるようなものである。 

 冬には霜が降りて青草が皆枯れてしまう。それはあたかも霜刀(霜の如く光る切っ先を持つ日本刀)が、一たび兇徒の頭上に閃くならば、暴悪が断滅するようなものである。 

 冬至になり、太陽が最も南に至ることで寒風が四海に満ちると、山野は白雪に覆われ、湖沼は凍る。 

 このように、天は生成の道であり、春に生じ、夏に茂り、秋に稔りながらも、冬には萎み(しぼみ)枯れて滅するものである。 

 これらを仰ぎ観ると、万物を生成化育するべき「造化」にも「断」があり、生死現滅を無窮に繰り返しているのだということがわかる。冬という冷厳にして断乎たる一年の総決算が造化の断の機である。この「断」とは、古来我が国に伝わる武器である「都流岐多知(つるぎたち)」の「たち(太刀)」であり、それは『武』を発動する手段である。 

 古来我が国における太刀は生太刀とも呼ばれ、単なる凶器ではなくて生かし殖やすための太刀である。それは、あたかも黄葉が散り去った梢にはやがて新芽が生じ、草葉が萎死んでも球根には春光に生成すべき力が秘蔵されており、日が南至線に遠ざかり、酷寒に至っても、再び北側から昇るようになり暖気を迎えるようなものである。こうした原理を「造化の武断」という。 

 世の中が治まり、天下太平の中にあっても、日本人の『武』は造化の武断の原理に則って常に働いており、「たち」により人々を護り続けているのである。

2007/5/26