国民精神の復興と国防体制の確立を『闘戦経』に学べ
「國民新聞」七、八月夏季合併号掲載記事 

 軍や海洋警察力を強化し、尖閣沖での海保巡視船への漁船突入や西太平洋での艦隊演習、日本領土の買占めなど傍若無人に振る舞う中国であるが、その本質は古代シナ兵法から何ら変わるものではない。それは兵法が必然的に民族の歴史と文化に根ざしたものだからである。 

 古代から国境という概念がなく、辺疆を拡大して発展してきたシナにおける兵法は、軍師が皇帝や王のために生み出した「戦いの理論」である。理論的には要を得た優れたものであるが、武人としての気高い精神は軽視され、軍は政治権力のための「暴力装置」であり、兵は凶器を振り回す不吉な殺人集団である。『孫子』は「兵は詭道なり」として権謀術数を奨励するため、シナでは昔も今も戦術から大戦略まであらゆる戦いが「詭」(偽り、騙すこと)の思想に支配され、さらに「虚実」(実を避けて虚を撃つ)、すなわち実体のないものをあるものに見せかけ、敵を恫喝し、その弱点を徹底的に突くことを強調する。中国共産党による対日革命工作や日本解体謀略なども、こうしたシナ兵法の理論に基づいており、とりわけ戦後の占領下で作られた「日本弱体化」の枠組みを、今なお徹底的に突いているのである。 

 こうした脅威を食い止めるには、国民精神を復興させ、国防体制を確立することにより、日本人自らの力でこの弱点を克服しなければならない。国民精神の復興とは、正しい国家観に基づく日本人の精神的な強さを取り戻すことである。現状維持を目的とし、「国」が制度や権力構造などの客観的に認識できるものに過ぎない革命政権の国家観とは異なり、日本では、万世一系、祭政一致、君民一体という国体の中での「生成発展」を目的とする国家観が根付いており、「国」とは、愛や誇りといった精神世界に存在する「いのち」、「価値」である。それゆえ国土を含む万物が等しく神々の子孫であり、調和し、一体化された永久的な生命の保持と増進を求めて生成発展するとともに、個人の生命は、そのなかに包含されてこそ存在意義を有する。これこそシナ人が最も懼(おそ)れる「日本人の強さ」の根源である。今から約九百年前の日本の兵法書『闘戦経』はこの真理を簡潔に説き明かしたものである。 

 国防についても『闘戦経』の教えに基づく国防体制を確立すべきである。国防の究極の目的は「国家の物理的・精神的な生存」を確保することであり、その様相は脅威に応じて千差万別であるが、特に目的のためには手段を選ばない中国を相手とする場合には、武力戦のような直接侵略のみならず、情報戦、法律戦、政治戦などの間接侵略にも有効に対処しなければならない。最早、憲法9条の下での自衛隊ではなく、自主憲法の下に確固たる国防体制を構築すべきときに来ている。特に「国境警備体制の確立」と「攻守バランスの取れた再軍備」は喫緊の課題である。国境警備には、軍と警察の中間レベルの武装組織「国境警備隊」を、再軍備については、党や政権の「暴力装置」にならない国軍を創設すべきであろう。しかし、さらに重要なことは、国防精神の回復である。『闘戦経』によれば、武人は智と勇を兼ね備え、誠心に富み、軍隊は「真鋭」でなければならず、「剛毅」の精神こそが日本人に戦う知恵と勇気を与える。『孫子』は、「鋭卒をば攻むるなかれ」「鋭は精鋭なり」と説くが、『闘戦経』では、我が軍や兵はさらに優れた絶対的な鋭さを示す「真鋭」でなければならず、必勝の要訣は、真鋭を以て正々堂々とよく戦うことであると説く。この至高無比の真鋭こそが我々日本人の『武』の本性である。  今ほど日本と日本人に『武』の回復が求められる時代はない。 

 

(おわり)

2007/5/26