河陽兵庫之記 弐 その1
▽ はじめに 

 日本兵法研究会の家村です。読者の皆様は、自衛隊の演習といえば、迷彩服にヘルメット、顔に茶や緑のドーランを塗り、身体や頭に木の葉や草を付けた隊員さんの姿を思い浮かべることでしょう。これは「個人の偽装」と呼ばれるもので、周囲の植生と一体化して敵から身を隠す、いわば「カメレオン人間」になることです。その際、重要なのは身体の線、特に肩の線をぼかすように草や枝葉を付けることです。 

 昭和56年秋、中隊配置から1ヶ月もたたない2等陸士の私は、一年で最も大規模な演習である「連隊訓練検閲」に参加しました。検閲課目は、倶知安に駐屯する某普通科連隊との対抗方式で行われた「遭遇戦」※ でした。 

(※ 詳しくは、拙著「名将に学ぶ世界の戦術」P21〜22をご参照ください。) 

 道東の矢臼別演習場という日本一大きな演習場で3日間ほどの戦闘行動が続きました。状況開始の初日は、一日中広大な演習場を歩き回りました。我が第1中隊は、連隊の先遣中隊として連隊主力より一足早く演習場に到着し、行動を開始していたようでしたが、一兵卒として行動する私に連隊全体の作戦や行動などは全くわからず、ただひたすら小隊長・小銃班長らの下で藪(やぶ)の中の道なき道を歩き続けていました。 

 縦隊の先頭を進んでいた尖兵が、無線で「敵発見!」と報告するや、小隊長を中心に各小銃班が左右に横隊に展開しました。展開と言っても実際にはきれいに横一線というわけにはいきません。何しろ人の背丈ほどの高さの草むらをかき分けての前進でしたから、「おい、もっと間隔をあけろ!」と叱られても、皆とはぐれないかと不安になり、ついつい隣接する隊員の見える範囲にいてしまうのが新兵さんたちの習性でした。 

 敵兵もこちらに気づいて展開し、両軍が数十メートルを隔てて向かい合うそのとき、「前方の敵散兵、撃て!」という班長の号令で班員が一斉に敵に向けて射撃しました。 

 64式小銃や62式機関銃が銃口から激しく発射炎を放ち、銃声が響き渡ります。 

 ダダーン。ダダダダダダ・・・・・。バリバリバリ・・・・。パパパン・・・・。 

 これらは、もちろん、空包ですが、音の大きさは実弾とほとんど変わりません。私にとっては、新隊員の戦闘訓練以外で始めて撃つ空包射撃でした。号令に遅れまいと夢中で敵に銃を向け、照準し、安全装置を解除して引き金を引きました。 

 ダーン! 

 その直後のことでした。私の手前の草むらのボサが、・・・ 

 私の手前のボサが、ものすごい形相で振り向きました。それはなんと、「個人の偽装」を施し、完全に周囲の植生と一体化したN3曹だったのです。草や枝葉をこれでもかというほどに付けて身体の線、特に肩の線を完全にぼかしていた「超カメレオン人間」N3曹の顔から、数十センチ横で私の64式小銃の銃口は、耳をつんざくような銃声とともに発射炎を吹いたのでした。 

 「撃ち方 やめ!」班長の号令で一斉射撃が終わりました。次の瞬間、N3曹の床尾板(小銃の一番後ろの肩に当てる部分)が私のヘルメットを激しく打撃しました。めまいがするほどに激しく・・・。この演習間、N3曹から散々お叱りを受け、小言を言われ続けました。もしも、私の撃った小銃の銃口に小石や泥が詰まっていたら、大事故になっていたかもしれません。私は猛烈に反省しましたが、その一方で、やろうと思えば「個人の偽装」はあそこまでできるものなのだと、ある種の感銘を受けたものでした。 

 「超カメレオン人間」N3曹の「個人の偽装」、これがその後、私が偽装する際の基準となりました。幹部になってからも、野外行動の際は常に自分の偽装を点検し、枯れてきたら周囲の草や枝葉で補修し、顔のドーランを塗りなおしました。まるで、自分が歩くボサのようになり、周囲が自分の存在に気づかないのは、透明人間になったような気分で楽しいものです。 

 私が戦車部隊の運用訓練幹部だった頃、日米共同訓練に通訳として参加し、ハワイから来た米陸軍部隊の中隊に一日中ついて歩くことがありました。この時も私は、暇さえあれば身体に草や枝葉を付け加えていました。私が草むらでしゃがみ込んでいたところ、それに気付かない米軍の黒人兵士が、私を蹴飛ばしてから、それがボサではなく偽装された人間だとわかり、驚きました。この共同訓練の間、同行していた米軍兵士たちは、私のことを「NINJA」と呼んでいました。 

 戦車中隊長や偵察隊長のときにも部下隊員に対し、「個人の偽装」については特に厳しく指導しました。「個人の偽装は、俺が基準だ、俺に習え!」と言いながら・・・。 

 さて、それでは本題の楠流兵法『河陽兵庫之記』に入りましょう。今回から第二章に入ります。この章の内容は、君主や将軍、家臣や部下などの良し悪しをいくつかの典型的なパターンに分けるとともに、それらの見分け方や上に立つ者の心得、タイプに応じた部下の扱い方などを具体的に説明する、いわば「人間観察学」といったものです。今回は、章の前段部分を現代語訳で紹介いたします。 

(平成23年12月21日記す) 

▽ 九 君 

 天下国家を保つ君主には、九種類ある。 

一には「法君」である。これは、秦の始皇帝のように、法度(はっと:法規、禁制)を厳正にし、制度や法令を細かく定め、政治権力により世の中を治める君主である。このような君主の下では、権威が有るときには、常に法が重んじられて民はこれを厳守するが、ひとたび権威を失えば、たちまち法による支配体制は崩れ、民は法を犯し、体制に背くようになる。 

二には「専君」である。漢の宣帝のように、自らの専制のみで、他に任せようとせず、独断して世の中を治める君主である。このような君主は、労多くして、しかも功は少ない。 

三には「授君」である。我が朝の後白川帝のように、自らはその任を堪(こら)えられず、政治を他に一任する君主である。臣下の者に忠誠心があるときは、天下泰平であるが、臣下が奸賊であるときには君主の権威はこれにより傾くことになる。 

四には「労君」である。夏の禹(う)王のように、勤労を以て世の中を治め、自ら心を尽くし、民の父母となる君主である。 

五には「等君」である。漢の高光武のように、大衆と艱難を共にし、好悪を同じくして世の中を治める君主である。 

六には「奇君」である。夏の桀(けつ)王や我が朝の武烈帝のように、驕(おご)り高ぶりながら民の困窮を知らず、ぜいたくの限りを尽くしながら奇怪なことをもてあそぶ君主である。 

七には「破君」である。楚王項羽のように、威勢がよく傲慢で耐え忍ぶことをせず、世人を塵芥(ちりあくた)のように扱い、不敬にして国家を破滅させる君主である。 

八には「固君」である。秦の二世のように、自国が険しく攻め難い地であることを当てにして城郭を固めるだけで、徳を修めようとしない君主である。 

九には「社君」である。晋の恵帝のように、単なる世継ぎの主であって勲功も無く、むつき(生まれたばかりの子供に着せる衣)を着ている時からもてはやされて飢えも寒さも知らない君主である。 

これらを初めとして、天下国家を保つ人には当然のことながら様々な種類がある。智者はこのことを深く察し、審(つまび)らかに観察せよ。 

▽ 八 将 

 将軍や統領(多くの人々を治める人)となる人には、八種類ある。 

一には「仁将」である。仁将は公(おおやけ)のために戦うことを基本として、天下の為に兵を発する。私的なことで人に危害を与えることは無い。したがって、仁将の向かう所には前に立ち塞がる敵はいない。 

二には「礼将」である。正しく兵を用いることに心掛け、道理に反するような軍を出兵させない。又、不正な方法で敵を討つようなことをしない。したがって、礼将には孫呉(三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝。首都は現在の南京付近)の世兵制(せいへいせい:西欧中世の封建制度に似た軍団世襲制度)を任せられるのである。 

三には「智将」である。智将は状況を急変させて、にわかに勝敗を決定づける決め手が何であるかを察し、士気の盛衰を観て、弛(ゆる)めるべき時と張りつめるべき時を使い分け、軍の進止が法則に合致している。それ故に、智将は戦いを始めるべきときを知り、有終の美を飾るのである。 

四には「強将」である。剛毅にして鉄石のような心であり、節を曲げず、大敵に当たればその堅い甲を砕き、生まれながらの徳が有り、健全で勇猛果敢である。このように強者でありながら柔軟性もある。 

五には「威将」である。威将は自然のうちに将としての威徳がそなわっている大器である。人望が有り、その権勢は世を圧するに十分である。 

六には「利将」である。国に利益をもたらすことを根本とした現実主義者であり、沈着冷静にして実力行使に徹する。道義心と勇気に富み、家業を重んじることなどには未練が無い。 

七には「守将」である。軍法を整え、訓令や命令を広く行き渡らせ、兵卒の隊伍を完璧にさせ、自分はただ簡素に徹して不敗を旨とする。 

八には「闘将」である。頭脳明晰にして志気が闊達であり、敵と我との情況を比較していずれに勝算があるかを推察し、奇変のために磬(けい:古代シナの打楽器)を控え(=一切の音や兆候を顕わさず)、戦機(チャンス)に応じ敵に先だって戦い、これら全てが自得したものである。 

こうした将軍たちを良将という。 

▽ 八 破 

 また、将軍として悪しき者に八種類ある。 

強剛でありながら得るものが無く、自ら敵を侮(あなど)る者がある。 

単純で強いが無謀であり、味方を失う者がある。 

気が短くすぐに激怒し、事を過(あやま)る者がある。 

才能に満ち知識があり過ぎるため、人を用いることができない者がある。 

高貴を誇り傲慢(ごうまん)であるため、民衆に悪(にく)まれる者がある。 

勇気に溢れながらも不遜であるため、民衆に嫌われる者がある。 

虚偽が多くほしいままに振る舞うため、民衆に欺かれる者がある。 

事なかれ主義で口が悪いため、民衆に捨てられる者がある。 

世俗ではこれ等を名付けて「破家」と呼んでいる。又、欲やつまらぬものに囚われて気力を失う六つの種類がある。 

色に溺れる、酒に溺れる、遊びに溺れる、悪ふざけに溺れる、趣味に溺れるというのがこれであり、これら以外にも阿放、空気(うつけ)というものがある。このような者たちはいずれも将軍にしてはならない。

2007/5/26