河陽兵庫之記 弐 その2
▽ はじめに 

 日本兵法研究会の家村です。前回に引き続き、自衛隊での演習の体験談を紹介します。入隊の翌年、すなわち昭和56年の1月1日、私は一等陸士に昇任し、上腕の階級章の「V」線が2本になりました。やがて営内班にも後輩隊員のN2士が入り、私も少し先輩気分を味わえるようになりました。 

 4月から6月の3ヶ月間は、中隊を離れて駐屯地消防ポンプ班という部署での臨時勤務となり、朝8時上番から翌日朝8時下番までの24時間勤務と下番後の丸一日の休務を繰り返す毎日でした。防大受験に向けて勉強時間を確保できるようにとの中隊長S3佐のご配慮によるものでした。 

 6月末に臨時勤務を終えて中隊勤務に復帰すると、そこでは秋の連隊検閲に向けて演習に次ぐ演習の毎日でした。この年の検閲課目は「防御」でしたので、前年の「攻撃(遭遇戦)」とはうって変わって演習場での野戦陣地の構築に訓練時間のほとんどが費やされていました。一隊員がやることは、そのほとんどが円ぴ(シャベル)を使って掩体(えんたい)を構築することでした。 

 掩体とは、隊員が敵の砲弾や手榴弾などから身を護って射撃を継続するため、地面に胸の深さまで掘る穴のことで、自分の扱う火器に応じて、小銃用、機関銃用、ロケットランチャー用など様々な形と大きさがありました。つまり、隊員にとって掩体構築とは、簡単に言えば「敵を意識しながら穴を掘ること」でした。自分の掩体を掘ったら、次に隣の隊員の掩体と交通壕でつなぎ、さらにその間に数人が入れる退避壕を掘ります。 

 こうして一つの陣地線が出来たら、第二線陣地の構築、さらに予備陣地、敵をごまかすための偽陣地などなど、二夜三日程度の演習間は、汗と土にまみれながら掘って、掘って、堀まくる毎日でした。もちろん、敵の偵察部隊や斥候兵からこうした行動を隠すため、掩体構築の間も敵方に偽装網を張り、隊員は「個人の偽装」をやります。それぞれの陣地も草木で完璧に偽装します。 

 そういえば、ここでもある演習における「個人の偽装」で面白い話がありました。隊員は皆、ヘルメットと身体に草や枝葉を付けながら行動しています。しかし、気をつけないと中には毒性があったり、皮膚がかぶれたりする植物もあります。「ウルシ」がその代表的なものです。ひょろっとした真っ赤な茎と左右均等に規則正しく並んだ葉が特徴です。これにかぶれるかどうかは個人差があり、アレルギーを持つ人は、ウルシの木の近くを通過しただけでもかぶれますが、なんでもない人は素手でポキポキとへし折ってしまうこともできます。 

 ウルシにかぶれた隊員は、皮膚を露出せざるをえない顔面だけが酒に酔っ払っているように真っ赤になります。それでも、衛生隊員からもらった薬を塗って演習を継続していました。私は演習中にウルシを見ると、気味が悪いので近づくのを避けていたため、それまではかぶれたことがありませんでした。 

 それまでは・・・しかし、それは中隊に配置になって間もないN2士とバディを組んで陣地を構築していたときのことでした。N2士が、枯れた偽装を直すために藪の中に入って、しばらくして出てくると、・・・ 

 暑い真夏の演習の最中、私は凍りつきました。 

 N2士は「ウルシの木人間」になって私の前に現れました。彼は、この小枝が何の木か全く知らずに「個人の偽装」を行ってしまったのです。私はこれがウルシであることを教え、N2士の体からウルシの枝を全て取り払って捨てました。そして再び陣地構築の作業にかかりました。 

 しばらくして、小銃班長のN2曹が「小休止」を伝えに我々のところにやってきて、私の顔をじーっと見てから言いました。 

 「お前、ウルシにやられたんでねえのか?・・・」 

 この演習では、まだ顔にはドーランを塗っていなかったので、はっきりわかったのですが、私にウルシを触らせた張本人のN2士の顔はなんともありませんでした。黙々と掩体を掘り続けるN2士を怨むでもなく、しかし、やってきた○○1曹の悪態には耐えねばならない羽目になりました。 

 ○○1曹「おい、どうせこの土日にススキノで遊んで悪い病気をもらったんだろう。ガハハハハ・・・、皆、うつるから家村に近づくなよ。ガハハハハ・・・。」 

 そんな冗談を言いながらも、○○1曹は私のためにすぐ衛生隊員を呼んでくれました。やってきた衛生小隊の陸曹は私の顔を見て少し考えてから、軍手をはずして腕をまくるようにいいました。そのようにすると、手も腕も赤くなっています。そこで、迷彩服上衣のファスナーを開いてシャツをまくり、胸部と背中を見せるように言いました。胸から腹にかけても手と同じように赤くなっています。しかも、真っ赤というよりは「まだら模様」に赤い状態でした。これらを観察した後、衛生隊員は、誰もが全く考えてもいなかったことを言いました。 

 「これ、ウルシじゃないですね。・・・・風疹(ふうしん)です。」 

 たしかに、当時、風疹が流行っていました。私は、あと2日ほど続くこの演習を中断して、自衛隊の札幌地区病院に入院することになりました。ジープで揺られながら演習場から地区病院に送られる間、だんだん全身が熱くなり、意識が朦朧(もうろう)としてきました。 

 病院で私を診断してくれたのは、若い女医の先生でした。当時の自衛隊は、まだ防衛医科大が開校して間もないころで、慢性的な医務官不足でした。その対策として民間の医者を防衛庁職員として雇っていましたが、民間に比べれば給与も低く、なぜかやたらと女医さんが多かったのです。 

 その後、風疹が完治するまでの一週間を自衛隊地区病院の病室で白衣のナース(看護官)の方々に囲まれて過ごしました。演習場の中で、体に草や小枝をつけて泥まみれで穴を掘り、草むらの中で仮眠していたところから、突然に環境が急変したせいでしょうか、とにかくナースの方々が皆、まぶしいほどに美しく感じられました。 

 さて、それでは本題の楠流兵法『河陽兵庫之記』に入りましょう。今回は、「人間観察学」とでも言うべき第二章の中段部分を現代語訳で紹介いたします。 

(平成23年12月27日記す) 

▽ 執 人 

 あらゆる人々の性格や外面は一人一人異なるものである。人の上に立つ者、すなわち首領ともなるべき者は、諸事をさしおいても、先ず人を知ることが肝要(かんよう:最も重要)である。 

人心の知り難いことについては、昔の人々も悩み苦しんできたところである。愚昧(ぐまい)な者には到底知り得るものではない。山濤という人は、たいそう賢明であったにもかかわらず、簡という家来が30歳になるまで、彼の丹心(たんしん:まごころ、赤心)を知らなかったと言われている。ましてや事にいたって智力を極めていないようなものが、どうして人の上に立つことができようか。 

女は自分を喜んでくれる者の為に容姿を飾り、士は己を知る人のために忠節を尽くすといわれる。太公望・管仲・張子房・諸葛亮、魏徴・李衛公、古今の名士は皆これらをよく承知していた。ほとんどの場合、人を取り立てる(採用する)方法において貴賎親疎の隔ては無いとは言うものの、親疎が無いような所にも親疎はあらねばならない。 

 第一には譜代(数代にわたり主家に仕えてきた家系)、第二には位の高いもの、第三には忠義の子孫、第四には智能の士、第五には七芸の士である。この七芸とは、一には力量、二には早業、三に弓、四に馬、五に水練(水泳)、六に揮忍(きにん:忍者を指揮=情報収集)、七に弁舌の才のことである。 

たとえ万能ありと言われても、勇気や道義心に欠け、十悪十僻(僻 へき:正常でないこと)が有れば、何の役に立つであろうか。 

十悪とは、 

一には「不忠不孝」、 

二には「不正直」、 

三には「好色」、 

四には「欲深さ」、 

五には「妄語偽言(ありもしないことや嘘をいうこと)」、 

六には「讒言間言(ざんげんかんげん:事実を曲げ、偽って人を悪く言うこと)」、 

七には「驕慢花奢(おごりたかぶり)」、 

八には「邪智(邪悪な智恵)」、 

九には「嗜食(ししょく:珍しいものを好んで食べること)」、 

十には「盗賊(盗み癖)」である。 

ここで言う賊とは「心の中の賊」であり、これには又、六つが有る。すなわち、法賊(法を破る)・権賊(権力欲)・功賊(勲功への固執)・豊賊(物欲)・風賊(※意味不明)・磊賊(らいぞく:心のわだかまり)がこれである。 

 十僻とは、 

一には「佞僻(ねいへき:異常な程に媚びへつらう)」、 

二には「使僻(異常な程に人使いが荒い)」、 

三には「妬僻(異常な程に妬む)」、 

四には「怒僻(異常な程に怒る)」、 

五には「忽僻(異常な程に軽々しい)」、 

六には「悠僻(異常な程に悠長である)」、 

七には「偏僻(異常な程に偏る)」、 

八には「曲僻(異常な程に曲がったことをする)」、 

九には「竪僻(異常な程にえばり散らす)」、 

十には「潤僻(異常な程に悲観的である)」である。 

又、十失十誘がある。 

柔和にして人を罰するに忍びないとして権威を失う者がいる。 

極度に信じやすいため人の詐欺を信じ、かえって信用を失う者がいる。 

私欲がなく心や行いが正しいが、人と愛和せずにかえって親しみを失う者がいる。 

言葉や態度が丁寧すぎて、かえって無作法で見苦しく、好意を失う者がいる。 

ものごとの先を読んで判断できず、悠長にしてうろたえて取り乱す者がいる。 

寛大で温厚ながらも細かいことに気が回らず、事をなすに粗雑な者がいる。 

節操は気高く、自己を清澄にして、人を失う者がいる。 

思案多弁にして細かいことにこだわり、時間を失う者がいる。 

治に得て乱に失う者(平時に役に立つが、戦時に役に立たない者)がいる。 

乱に得て治に失う者(戦時に役に立つが、平時に役に立たない者)がいる。 

これらを十失という。 

外貌は温良でありながら、内心は不肖(愚かで未熟)な者がいる。 

外貌は大きな度量があるようで、内実は浅はかで卑しい者がいる。 

外面は慎み深く礼儀正しいが、内心は堕落しきった人がいる。 

外面は勇敢に見えても、内心は臆病な者がいる。 

外からは剛毅・屈強に見えて、内実はびくびくと怯えている者がいる。 

外からは素質が有りそうで、内心は事実無根のことをおおげさに言うだけの者がいる。 

一見その行動が意気に燃えて勇ましいが、内実は媚びへつらうだけの者がいる。 

外見には正直者を装いながら、実は嘘ばかりついている者がいる。 

外面は謹謙(かしこまってへりくだる)でありながら、内実は無礼な者がいる。 

外面は清廉潔白でありながら、密かに盗みをはたらく者がいる。 

これらを十誘という。 

これらを識り、これらを用いるには、注意すべき八つの徴候と七つの害がある。 

▽ 陰 試 

 一にはその窮迫に臨み、急難に及んだ場合に、どのような事を行い、何を言うかを観察せよ。これにより勇者であるか、謀者であるかを知ることができる。 

二には危機的な状況に臨んだ場合に、同時に間諜(スパイ行為)を図ろうとしていないか、あるいは共に死ぬか生きるかを問うことにより、その心情を観察せよ。言葉少なく態度も変わることが無いのは信義に基づく者であり、死が確実になっても臆することがないのは勇気ある者である。 

三には時間をかけて態度や技芸を窺い(うかが)、盛衰に応じてその者が親疎の程度をどうするかを観察せよ。うわべの言行と信実(本音、正直な気持ち)とは、自他の人間関係から知ることができるものである。 

四には時々逃れられないほどに心理的圧迫を加えてその節操を観察し、狎れ親しく言葉をかけて何を嗜(たしな)んでいるかを考察せよ。その言葉により、その事によって主君に忠誠心があるか、贅沢か、欲深いか、真に潔いかを知ることができる。 

五には官職を与えてから、その知行(執務、職務の遂行)を観察せよ。器量の大小、その器に無い者、有徳の人か否かは自ずから知ることになろう。 

六には財産と情婦を与えてその生活態度を観察せよ。過度か、節制か、武芸をさせてみればその隠れた一面も自然に顕われるものである。 

七には酒に酔っている場面で、その態度を観察せよ。本性が自ずから端々に顕われるものである。 

八にはその友人関係を調べることにより、知らない一面を知れ。不善な者はたとえ付き合ってもよそよそしく親しい間柄にはなれないものである。又、朱に交わる者は赤く、黒に近づく者は涅(うすろ:水の底によどむ黒い土)ともいう。 

 将軍や官吏である者が、もしも誤って臣下の者を採用してしまうと、七つの害がある。 

一には、これらの者は勇気も道義心も無く、権門に阿諛(あゆ)へつらうだけであり、身を立てようとするときには他の媚びへつらう者達も競い集まって、自ずから主人の徳を損なう。 

二には阿党(あとう:権力などをもつ者におもねり、その仲間になろうとする一味徒党)の者が中心になってものごとが進められるときには、賢明な士は隠蔽されてしまい、自ずから主人の聡明さを損なう。 

三には賢明な士の徳が蔽われ、不肖な愚か者が勢いづいて来れば、法度(法律)は日を追うごとに破られ、禁制は止むことが無いので、自ずから主人の権威を損なう。 

四にはこれらの者は、必ず互市(ごし:互いに売買交易すること、密売人)であるといわれる。互市が国家に興れば、主人に正しい情報が入ってこないようになる。 

五には互市は必ず便佞(言葉巧みに、人の気に入るようにふるまいながら、その実、心に誠意のない人)である。この便佞が主君の近辺に近づくときは、優れた家臣による諫(いさ)めも妨害される。 

六にはこれらの者は必ず権勢や利欲だけを目当てにして振る舞い、兵の道義を思わず、道義を知らないがために、指の先ほどにも恥を思うことが無い。このようにして、自ずから国の風俗を害する。 

七には、これらの者は主君への忠誠心が無く、親への孝心が無く、下の者への慈悲や感謝の念が無く、同族に落ちぶれた者がいたとしても何ら気遣って養おうともせず、下の者も次第にこれに追従して盗賊の端くれとなっていく。 

これらを七害という。 

 又、六毒五捨人というものがある。 

一には過権(過剰な権力欲)の臣。大臣がその地位や政治上の権力を専らにして、その権勢と威力が募るときには、国家はその内部から傾いていく。晉の六卿・魯の三極・斉の田氏・魏の司馬仲達、我が朝の平清盛・時政を初めとして、和漢古今にこの類は多い。口伝。 

二には過奢(過剰な奢り)の臣、 

三には過慾(過剰な欲心)の臣、 

四には讒惹(偽りを言って惹きつける)の臣、 

五には耽色(色欲に溺れる)の臣、 

六には過刑(過剰に刑罰を科す)の臣、 

こうした家臣を六毒の臣という。 

五捨について、一に大勢で徒党を組んで、つたや葛(かづら)のように相互に密接なしがらみを持つような人は捨てよ。 

二には多く施すことを好んで、己の慈愛心であるかのように徳を民衆の心に植えつけようとする者は捨てよ。 

三には柔弱にして役に立たない人は捨てよ。 

四には悪事を多くはたらき、人から憎まれるような者は捨てよ。 

五には褒美を多く施すことで、朋友や徒党との繋がりを広げるような人は捨てよ。 

こうした取捨の選択には、最も心を尽くさなければならない。もしもこれを誤ってしまうと、大きな禍根を国にもたらすことになる。まさに捨てるべきを捨てず、執るべきを執らなければ、諸人は節義の心を忘れ、忠節のために尽力することも無い。諸人が忠義の心に根ざして持てる力を発揮しなければ、武功は何によって達成されることがあろう。故に将軍は天に先立ち、民衆に先立ち、人を識ることが重要なのである。

2007/5/26