【第1回】上陸作戦と対上陸作戦(その1)
▽ごあいさつ 

 皆様、こんにちわ。ご無沙汰しておりました日本兵法研究会会長の家村です。今回から約半年間にわたり『本土決戦準備の真実−日本陸軍はなぜ水際撃滅に帰結したのか−』を連載させていただくことになりました。 

 古い歴史と優れた伝統を持つ日本の国、ユーラシア大陸に沿って西太平洋上に連なる列島からなる日本の国土、これらを敵の武力による侵略からいかにして守るか・・・。古今に通じる難解なテーマではありますが、できるだけわかりやすく解説しようと試みてまいります。 

 読書の皆様とともに、先人達の苦心の跡を訪ねてみたいと思いますので、どうか最後までお付き合いください。 

▽ はじめに 

 大東亜戦争が終戦を迎える1ヶ月前の昭和20年7月初頭、関東方面における本土決戦を任務としていた第12方面軍司令官は、上陸侵攻する敵を迎え撃つための陣地線 (防御ライン)を天然の要害ともいうべき下総台地などの堅固な地形から、拠るべき地形地物に乏しい九十九里浜などの水際平地部に推進することを決心した。これにより、指揮下部隊の将兵たちは、前年10月頃から営々と築いてきた数多くの拠点陣地を捨てて平坦な水際部に新たな陣地を掘り直すこととなった。 

 天然の要害に地下壕を張りめぐらした拠点陣地を自らの死地と覚悟し、精根傾けて構築していた第一線部隊の指揮官らは、方面軍司令官からの突然の変更命令に接し、あらためて海岸付近を現地偵察してその地形強度の格差に愕然とした。そして、悲愴な決意をもって部隊を水際部の近くに推進し、新たな陣地を構築することを命令した。 

 この第12方面軍司令官の決心は、大本営陸軍部が昭和20年6月20日参謀次長名をもって通達した「本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件」に従って水際決戦の趣旨を徹底し、具現化するためのものであった。大本営とは、戦時において天皇陛下に直属する最高統帥機関であり、大本営会議、大本営陸軍部(平時の陸軍参謀本部)および大本海軍部(平時の海軍軍令部)などで構成されていた。 

「本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件」では、沿岸配備兵団に対して概ね以下のようなことを要求していた。 

○決戦方面における沿岸配備兵団等にあっては、いかなることがあっても「戦況の苦難を理由にして当面の決戦を避け、後退して持久を策する」ことがあってはならない。このような観念は、本土決戦の真義に反するものである。 

○自己健存の思想のごときは断固排撃し、その任務が明示するところに決勝を期し、各人各部隊、皆が「我が身を捨てて敵を撃つ」という戦法に拠らなければならない。 

○沿岸配備兵団及び部隊は、その任務に基づき戦闘の要領を律するべきではあるが、いやしくも要域の領有ないしは時間的持久のような「守勢的観念」は、これを根本的に 払拭しなければならない。 

○陸上作戦に任ずるものは、成し得る限り「水際における敵の必然的弱点」を追及すること。これを作戦指導の主眼とし、飽くまで敵を沿岸に圧倒撃滅するように図らなければならない。 

 このように、終戦直前の本土決戦準備において、大本営陸軍部が第一線部隊に対し「一切の経緯より毅然として脱却」して水際部に新たな陣地を掘り直すことを強要した 真の目的については、様々な見解がある。たとえば、「火力戦から白兵銃剣主義への急転回」とするものや、「敗戦必至の情勢下における自暴自棄的玉砕戦法の採用」、「軍事的合理性を捨てて華々しくその最期を飾るための戦死決心の戦い」などが一般的である。しかし、このような短絡的・表面的な見方では、この重大な方針変更について納得し難い点があまりにも多いのである。 

 終戦直前の本土決戦準備における水際撃滅への作戦思想の急転換・・・、その真意はどこにあったのであろうか。いずれにせよ、大東亜戦争末期に我々の先人が軍・官・民一体となって心血を注ぎ準備した本土決戦とは、我が国における数少ない「国土防衛に関する歴史的事実」である。我が国周辺における中共やロシアの軍事的脅威が増大する一方で、米国との同盟関係が先行き不透明な、あたかも幕末維新の国内外情勢すら思わせる今日こそ、この本土決戦準備という「歴史的事実」に先人の苦悩の跡を訪ね、往時を偲び、隠されてきた史実を究明して教訓を学び取る必要があるだろう。 

 今回から約半年間にわたり、日本陸軍の対上陸作戦思想の変遷について戦略・戦術的な観点から紐解きつつ、最終的に徹底した水際撃滅に帰結せしめたものが何であるのかを明らかにすることにより、今後の日本の国土防衛のあり方について考えてみたい。なお、文献からの引用箇所は、文語体、旧仮名づかいであったものを筆者が現代語訳している。 

▽ 上陸作戦の本質 

 四面環海の島国である日本を武力侵攻しようとする敵は、必然的に海から上陸して攻めて来ることになる。このように上陸作戦を強いられる側の最大の弱点は、軍隊や補給物資が洋上を航行し、或いは上陸正面の沖合いに停泊している時期である。この間は、いかに強大な陸上部隊といえども単なる「船内の積載物」に過ぎず、陸上戦力としての価値は無いに等しい。しかも、船が撃沈されてしまえば全てが海の藻屑となるのである。 

 次いで弱点となるのが、上陸作戦の初動段階、すなわち上陸する部隊が波打ち際に到着し、陸地に踏み込んで間もない時期である。この時は、沿岸〜水際〜海上の縦方向に戦力が分離している状態であり、水際部には達着して間もない数多くの上陸用舟艇とそれに乗っていた兵士、水陸両用車両などが密集しているため、我の射撃や砲爆撃に対して極めて脆弱である。しかも、これらの人員や装備が部隊としての組織的な戦力を発揮するまでには、ある程度の時間を要し、それまでは波打ち際での混沌とした状態を避けられない。このように、上陸する側の最大の弱点は、場所的には水際部、時期的には上陸初日に生じるのである。 

 上陸した敵部隊は、上陸を妨害する我の火力を排除して後続部隊を安全に上陸させるため、編成が整い次第、速やかに攻撃を開始する。この攻撃は通常、水際部に直接向けられた小銃・機関銃やロケットランチャーなど「直射火器(直接照準射撃)」の排除(第一目標線)、迫撃砲や榴弾砲など「曲射火器(間接照準射撃)」の観測点の排除 (第二目標線)、水際部を射程内とする「曲射火器」の排除(第三目標線)という三段階の目標をもって実施される。大東亜戦争当時の日米両軍が保有する武器の性能・諸元で考えると、米海兵隊の軍団(3個海兵師団)レベルの第一目標線は海岸線から2〜3Km、第二目標線は海岸線から5〜10Km、第三目標線は海岸線から15〜20Km程度となるだろう。ただし、地形によりこの数値はかなり異なるものとなる。 

 上陸した敵部隊は、第三目標線に到達した段階でこれを確保するため、「海岸堡」と呼ばれる陣地線を占領する。海岸堡を設定することにより地上からの攻撃や砲爆撃に対する抗たん性を得た敵は、戦車・重砲などの戦力や弾薬・燃料などの補給物資を安全に揚陸し、じ後の内陸部への侵攻作戦を準備できる。この上陸の初動から海岸堡を設定するまでの間を「海岸堡線設定段階」という。この段階における敵戦力は、上陸を完了した部隊だけが逐次に戦闘加入し、総合戦力が段階的に増えていくという宿命を免れない。 

▽ 上陸作戦における「奇襲」と「強襲」 

 上陸作戦は、従来は企図を秘匿して敵の備えの手薄な所を衝く「奇襲」を主眼としていたが、次いで奇襲・強襲の両刀の構えとなり、やがて「強襲」を主とする戦法に移り変わってきた。これは近代以降、航空戦力の発達に伴い陸と海が一帯の連続した戦場となり、上陸作戦そのものが海上渡航〜上陸〜地上戦闘という連続した作戦の一段階とみなされるようになったこと。そして、圧倒的な制空権さえ保持していれば、これまで極めて困難とされてきた強襲上陸も可能になったからである。 

 大東亜戦争初期の日本軍の上陸作戦は、奇襲と強襲の二段構えであり、マレー半島では奇襲、フィリッピンやインドネシアでは半ば強襲を用いた。又、太平洋での米軍や欧州戦場での米英連合軍の上陸作戦は、航空戦力の増勢による強襲であった。いずれにせよ、上陸作戦における勝敗の鍵は航空戦力の優劣にかかっているのである。 

(以下次号)

2012/4/7