【第2回】上陸作戦と対上陸作戦(その2)
▽ ごあいさつに代えて 〜戦場から届いた言葉〜 

 日本兵法研究会会長の家村です。この連載シリーズの冒頭では、戦略・戦術や統帥に関して古今東西の優れた軍人たちが語った言葉をそのまま紹介してまいろうと思います。作家や研究家が頭の中だけで考えた「机上の言葉」ではなく、軍人たちが指揮官・参謀としての実戦体験を通じて語った簡潔にして血のにじむような「戦場の言葉」こそ、私たちが軍事・国防を学ぶ上で最も重要なテキストであると言えましょう。今回は本題に関連して、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の直前に、ドイツ西部戦線B軍集団司令官・エルウィン・ロンメル元帥が語った言葉を二つ紹介します。 

 ・・・勝負はこの海岸で決まる。敵を撃退するチャンスは一度しか無い。それは、敵が海の中にいる時だ。上陸作戦の最初の24時間が決定的なものになる。この日いかん によってドイツ軍の運命は決し、連合軍にとっても我々にとっても『一番長い日』になるだろう。・・・ 

 ・・・我々が直面しようとしている敵は、あらん限りの知恵を絞り、技術力を活用して惜しみなく物量を投入し、どの作戦もすでに繰り返し練習をつんだ行動のように押し 進めてくる敵なのだ。・・・ 

 さて、それでは本題に入りましょう。前回に引き続き、上陸作戦と対上陸作戦の本質的事項について解説いたします。 

▽ 対上陸作戦の本質 

 上陸侵攻する側にとって避けることの出来ない「必然的な弱点」を捉えてこれを妨害・阻止し、あるいは撃破して敵の上陸作戦を失敗させるのが、「対上陸作戦」である。こうした上陸作戦・対上陸作戦の本質は、敵と我の「上陸地点における戦力の集中競争」である。対上陸作戦を行う我にとって重要なことは、当初から陸地に在るという利点を生かして戦力を徹底的に集中し、敵の上陸時の必然的な弱点を突いて損害を与え、敵に海岸堡を設定させることなく、これを撃滅することである。 

 しかし、敵もあらゆる手段を以てこの必然的弱点を克服し、「上陸地点における戦力の集中競争」に勝利を得ようとするのは必至である。このため、強力な航空戦力により制空権を確保し、上陸に先立って艦砲射撃や航空爆撃により沿岸部で待ち構える我の戦力を可能な限り減殺しようと努めるとともに、航空攻撃により我の機動集中を妨害するのである。また同時に、敵主力の上陸正面を欺騙、陽動することにより我に主作戦正面を誤認させ、戦力を分散させようとするであろう。 

▽ 対上陸作戦における「水際配備」と「後退配備」 

 対上陸作戦における部隊の運用には、「水際における敵の最大の弱点」と「防御に適する地形の堅固性」との兼ね合いから基本的に水際配備と後退配備の二つの考え方がある。 

 水際配備とは、直射火器及び曲射火器が水際部(海岸線)を有効に射撃できる場所に部隊を配備することであり、丘陵や山地などのような堅固な地形を捨ててでも水際における敵の最大の弱点を徹底して突こうとする考えである。簡単に言えば、「チャンスをつかむために危険を覚悟してでも前面に打って出る」ということである。冒頭で述べた「拠るべき地形地物に乏しい九十九里浜」の水際部では、ほとんど全ての正面で海岸線から陸地側には数Kmにわたり全くの平坦地であり、一宮・大東崎や飯岡・銚子といった両肩部の丘陵以外に陣地に適する地形が存在しない。 

 これに対して後退配備とは、たとえ直射火器が水際部(海岸線)を射撃できなくても、地形の堅固性を重視して敵が上陸する前の激烈な艦砲や航空爆撃などから残存できる場所に陣地を構築し、部隊を配備することである。これにより、沿岸部後方での強靭な防御戦闘を行うことで、あくまでも敵による海岸堡の設定を阻止しようとする考えである。九十九里浜正面で言えば、海岸線から10キロ近く離れた茂原・東金・成東などの下総台地東南側斜面に拠点的に配備することになるが、この後退配備では当然のことながら水際における敵の必然的弱点を突くことはできない。その代わりに、地形を活用した拠点陣地を、敵に囲まれながらも死守することにより、敵の海岸堡設定、特に第三目標線への進出を阻止・妨害しつつ時間を稼ぐ「持久作戦」を行い、その間に他正面から戦力を集中してある段階で大規模な攻勢作戦を発動するという戦い方である。 

 もちろん地形によっては、堅固な地形が水際近くに存在し、「水際配備」と「後退配備」の二つの効果を同時に追及できるようなケースもある。相模湾正面の七里ガ浜、由比ガ浜(いずれも鎌倉)や大磯、二宮の海岸などがこれである。特に海岸から突き出た天然の要塞のような江ノ島などは、上陸する側にとって最も「いやな地形」であろう。 

▽ 後退配備による沿岸撃滅の問題点 

 対上陸作戦において、我は敵主力がどこの正面から上陸して来るか上陸開始直前まで判らずに受け身であるのに対して、敵は自由意思をもって上陸正面を選定し、先制・主動の立場で侵攻して来る。敵主力の上陸正面が判明するのを待ってから我の戦力を機動集中すれば、それだけで数日間を要することになり、水際における敵の最大の弱点(上陸初日)は完全に消滅している。つまり、我は上陸初日の相対的な戦力の優勢を始めから放棄することになる。しかも、敵が二正面で同時に上陸する場合、我が一つの正面(主作戦)に対して戦力を集中して攻勢をとり、その間もう一つの正面(支作戦)が守勢であれば、この正面で敵に海岸堡を設定させてしまう可能性が高く、その海岸堡を覆滅し、敵を撃破するのはきわめて困難となろう。それゆえに、支作戦正面は内陸部の作戦となることも覚悟しなければならないのである。 

 このように、後退配備による沿岸撃滅という作戦思想は、『時間的な利点の喪失』という問題を始めから有しているのである。 

▽ 大東亜戦争末期における対上陸作戦思想の変遷 

 ここで、簡単に大東亜戦争末期における日本陸軍の対上陸作戦思想を概観してみよう。昭和18(1943)年11月15日に配布された『島嶼守備部隊戦闘教令(案)』では、敵による熾烈(しれつ)なる砲爆撃を想定しながらも、「配備の重点を直接海岸に置き・・・」として水際配備のみを記述していたが、翌昭和19(1944)年4月に配布された改訂版では、これに後退配備の思想を付加した。 

 同年8月19日に配布された『島嶼守備要領』では、「主陣地地帯の前縁は・・・海岸より適宜後退して選定するのを可とする」とした。 

 同年10月に配布された『上陸防御教令(案)』では、「全般の状況及び地形これを許せば、配備の重点を直接海岸に置き・・・」としながら、「現戦局においては、水際撃滅が成立しないことがしばしばであるのをもって、守備隊は配備の重点を海岸より適宜後退させた地域に設け・・・」として後退配備を明示した。 

 そして、昭和20年3月10日に大本営陸軍部が配布した『対上陸作戦に関する統帥の参考書』では、「予期する攻勢正面に設ける陣地は、通常、海岸より適宜後退した要域に拠点式に極めて堅固に設置し・・・」として、後退配備をより一層重視した表現で明示した。 

 ところが、同年6月の参謀次長通達『本土決戦根本義の徹底に関する件』では一変して、「決戦方面にける沿岸配備兵団等にして、いやしくも戦況苦難の故をもって、当面の決戦をさけ、後退により持久を策するが如き観念は、本土決戦の真義に反するものなり・・・」と水際決戦を明示することとなった。 

 こうした大東亜戦争末期における日本陸軍の対上陸作戦思想の変遷を詳細にたどる前に、先ずその背景として、日本人の対上陸作戦思想に少なからず影響を与えたものと思われる「元寇」などの史実や江戸時代後期から幕末にかけての兵法思想について、次回から三回にわたり紹介してみたい。 

(以下次号)

2012/4/13