【第22回】作戦構想の変更と第一線部隊の戸惑い(その2)
▽ ごあいさつに代えて 〜戦場から届いた言葉〜 

・・・戦争は昨今ご承知のとおり、ますます恐ろしい物質的な事業になってきました。しかし、血の通った生身の人間、その個々の人格が戦場の主人公であります。そして、その主人公は、自分の信ずるところに誓を立て、自ら選んだ信条に忠実な人でなければなりません。(中略)もし、我々軍隊を真に自覚ある個人の集団とすることができるならば、部下の人格の上に我々は統率の栄誉を担うことができるのであります。そして、必要であり、そうしなければならない時には、毅然として部下に生命を犠牲にすることも要求することができるのであります。・・・(軍を去るにあたり、幹部団に対して行った訓示から)  

    アンリ・ギザン将軍(スイス国軍の父) 

・・・明確な概念を持つ者は命令しうる。・・・ 

    ゲーテ(1749〜1832 ドイツの文学者、詩人、劇作家) 

・・・始めに言葉ありきではなく、始めに行動ありきである。・・・ 

    (ゲーテの代表作とされる長編の戯曲「ファウスト」より) 

 日本兵法研究会の家村です。それでは、本題に入りましょう。今回は大本営陸軍部が「水際撃滅」を徹底する覚悟を固めて『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』を通達した後、この基本思想の変化に伴い、作戦を実施する第12方面軍の作戦構想がどのように変化したかを具体的に解説いたします。 

▽「水際撃滅」の徹底 ―『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』から『総軍決戦綱領』へ 

 昭和20年6月20日、参謀次長名で第1、第2総軍に通達された『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』の趣旨は、「本土決戦は、文字通り決戦であるので、犠牲のいかんを顧慮せず徹頭徹尾決勝の一途に邁進することが必要である。持久を策する等は、本義に反する。敵が上陸したならば全面的に挙軍攻勢に転じ、水際における敵の必然的弱点を飽くまで追求することを作戦の主眼として、沿岸において敵を圧倒殲滅することを図るべきである。特に沿岸作戦兵団は敵の橋頭堡陣地占拠以前、やむをえない場合にもその過程で敵上陸部隊を破砕することが必要である」というものであった。 

 ここに示された本土決戦準備における水際撃滅の狙いとは、敵の必然的弱点を、機を失せず追及するため、「主作戦正面を我が主動的に決定しておく」とともに、「全正面同時に、かつ速やかに攻撃する」ことにより、「上陸地点における戦力の集中競争」を当初から我に有利にすることであった。すなわち、敵主力の上陸正面を見極めてからそこを主作戦正面として攻撃を発動するのではなく、上陸が予想される全ての正面において、敵が上陸を開始した直後における我が戦力が相対的に優勢な間に、周到に準備した攻撃を発動して敵の上陸第一波を完膚なきまでに叩き潰す。このことにより、じ後の作戦全般に大なる影響を及ぼそうとしたのであった。 

 この『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』により大本営から水際撃滅の徹底を命ぜられた第1、第2総軍は、その意図を隷下の各部隊に徹底するため、それぞれに「決戦綱領」を定めた。特に鈴鹿以東から青森までの東日本での作戦を担任する第1総軍は、昭和20年7月17日に示達した『第1総軍決戦綱領』の中で、徹底した決戦思想に基づき、きわめて積極的な戦術・戦法を採用した。 

▽「水際撃滅」の徹底 ―『第1総軍決戦綱領』の概要 

 『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』に基づき第1総軍司令部が策定した『第1総軍決戦綱領(昭20.7.17)』の内容のうち、主要な事項は次のとおりである。 

 (引用開始) 

● 総軍の本土作戦は、敵上陸軍を求めて速やかにこれを撃滅すべき攻勢作戦である。 

● 敵上陸軍を必ず撃滅するための根本は、敵が確固たる上陸態勢を占めるに先だち、これを撃滅するという一途に存する。「必勝の神機」が存するのは、実に水際付近である。全軍を挙げてこの「神機」に決戦の運命を托(たく)し、これを捕捉することに全力を傾到しなければならない。 

● 総軍の攻勢をもって敵上陸軍を沿岸要域に撃滅するという「決勝」の任務に関しては、各兵団においていささかの差異も存在しない。(守勢による持久という任務は無い。各兵団が皆等しく攻勢に参加するのみ) 

● 敵の本土上陸にあたっては、その主力に対して主決戦を指向するのを理想とする。しかしながら、敵主力の存在について、適時にこれを判定することは至難であることから、大局的な判断と周到な情報活動により、あらかじめ主決戦方面を確定し、敵の上陸にあたり自主的にこれを決行することが緊要である。このようにして、敵が上陸を企図する重要正面において、(敵主力がどこかにかかわらず)我が自主的に決定した攻勢を強行して速やかに敵を圧倒するのは、全局面における決戦を敵に強要するためである。 

● 主決戦方面以外における我が作戦指導も、同様に当面の敵上陸軍を必ず撃滅するという一途に徹する必要がある。このため、方面軍以下各当面の最高指揮官も、たとえ全般の兵力が十分ではない場合でも、敵上陸初動の戦機に投じ、これと「刺し違う」という強烈な統帥を堅持して、あくまで敵の上陸を破砕することが緊要である。 

 この際、もし、いたずらに自存持久を策する等の方途に出ることにより上陸した敵に確固たる地歩を確保させ、さらに敵航空基地の推進を許すようなことがあれば、敵の海空勢力よる本土方面での作戦との関連性に鑑み、我が主決戦の遂行は至難に陥ってしまうことを肝に銘じておかねばならない。 

 もしも彼我戦力の著しい懸隔により、敵上陸正面の我が軍がついに沿岸において刺し違うに至るような場合において、これに対処するのが上級指揮官の任務である。 

● 物量を基礎とし、極めて周到な計画準備のもと、常に強者の戦法を適用して作戦を必ず達成することを期する敵に対して、我は全軍が「烈々たる殉忠特攻の至誠」に徹することを根本とし、精到な訓練、周到な準備のもと、我が火砲の運用を骨幹とし、水陸両辺におけるあらゆる戦法、戦力を敵に集中指向し、もって水際に撃滅しなければならない。 

 この際、特に敵の戦車・大砲・迫撃砲の上陸未完に乗じ、これを破砕することに全力を傾倒するとともに、戦場がおのずから縦深にわたるという実相にも即応し、浸透する敵に対し、我の縦深にわたる準備と推進する攻勢兵力とをもって、あくまで敵に付着し、これに重複することで、(友軍相撃を恐れる敵が砲爆撃をためらうことにより、)敵の砲爆撃の猛威を制しつつ、あらゆる戦面において敵を攻撃し、所在にこれを撃滅して、最終的に全局の決勝を制すべきものとする。 

 (引用おわり) 

 この『第1総軍決戦綱領』は、大本営が『本土決戦根本義ノ徹底ニ関スル件』で示した作戦思想をその極限において最も端的に具現したものである。しかし実際には、総軍がそれまでとは異なる作戦方針を示したことが、方面軍以下の現地部隊に作戦思想上の大混乱と、これまで営々として築いた陣地を放棄することへの強い抵抗を招く結果となった。 

 このように企図を徹底するということは、部隊の規模が大きくなればなるほど難しく、時間を要するものである。そして、指揮官がその企図を徹底するための大前提は、指揮官自らがその企図に対して堅確な意志を持つことである。 

▽「水際撃滅」の徹底 ―『第1総軍決戦綱領』示達後の第12方面軍作戦構想 

 昭和20年7月17日に示達された『第1総軍決戦綱領』を受けて修正された第12方面軍の作戦方針は、鹿島灘、九十九里浜、相模湾の三正面のうち敵主力を判定してから、そこに決戦を求める考えを一切捨て去り、敵にかかわらず決戦正面を「九十九里浜正面」と定め、ここにおいて決定的な攻勢を指導するというものであった。このため、敵上陸の時機が近いと予察する時点で、自主的に攻勢兵力を決戦正面の沿岸近くに集中・推進し、敵上陸とともに攻勢作戦を発動し、沿岸配備に任ずる軍と呼応重畳して水際に向かう連続不断の攻撃を敢行する。攻撃開始時期は、「敵の上陸開始日、遅くともその翌日」とされた。 

 支作戦正面においても所在する各軍は、所在の兵力をもって一斉に水際に向かう攻撃を敢行するものとされていた。このため、当初、九十九里浜正面に一兵でも敵の上陸を見た場合は、他正面に対する敵上陸の如何にかかわらず、直ちに攻撃兵力を投入して敵に決戦を強要する。また、九十九里浜正面に敵の上陸を見ず、鹿島灘、相模湾正面に敵が上陸した場合は、こちらに攻勢のための兵力を逐次に投入して決戦を指導するものとした。 

 こうした新たな作戦構想に基づき、水際撃滅の趣旨に徹する陣地を水際付近まで推進することとした。九十九里浜正面では、汀線から10Km近く後退した両総台地台端の線から、汀線2〜3Kmの海岸砂丘(第二砂丘列)の線に、鹿島灘正面では、涸沼〜鉾田〜玉造の線から鹿島灘海岸段丘の線に、相模湾正面では、藤沢正面海岸の奥3〜5Kmの丘陵の線から海岸砂丘の線に、それぞれ陣地を推進することとされた。 

 こうした陣地の推進を計画する一方で、相模湾正面においても元から水際付近に近い鎌倉山地と大磯丘陵に構築された陣地は、そのまま使用することとされた。また、九十九里浜・相模湾の両正面とも、汀線一帯を側方から火制するため、上陸正面の両肩部(九十九里浜正面であれば大東崎と犬吠埼)に配置していた拠点と有力な砲兵部隊はそのまま残すこととした。 

 対上陸戦闘における戦術・戦法上で特に重視されたことは、空と海の特攻作戦による敵船団・舟艇の洋上撃破と地上戦闘との時期的な調和であった。また、汀線近くに対戦車肉薄攻撃の拠点を占領するとともに、陣地の秘匿・欺騙を徹底することが強調された。さらには軽戦車連隊による敵空挺部隊に対する反撃や敵砲兵等に対する挺進奇襲なども計画されていた。 

▽「水際撃滅」の徹底 ― 新たな作戦構想と第一線部隊の戸惑い 

 このように、『第1総軍決戦綱領』示達後の第12方面軍の作戦構想は、我が自主的に決定した正面の汀線における遭遇戦(敵も我も攻撃行動)により、上陸直後の敵を再び海に叩き込んで撃滅することを企図したものである。このため、沿岸配置兵団も上陸前の敵の砲爆撃に耐えた後は水際で防御するのではなく、敵の上陸開始とともに陣地から飛び出して一斉に出撃し、連続不断の攻撃行動をとる。これにより、水際部に敵と我との「紛戦状態」を作為して敵の艦砲、航空攻撃を抑制させ、この間逐次に戦場に殺到する決戦兵団を戦闘加入させることとなる。 

 この方式の勝ち目は、九十九里浜正面に決戦兵団の全兵力を向ける態勢をもって、逐次に上陸してくる敵を連続的に攻撃し、相対的に戦力が優勢なうちに各個撃破することである。そして、一つの正面において「敵の出鼻を完全に挫く」ことにより、その衝撃効果を相模湾正面や鹿島灘正面に波及させようとするものである。 

 しかしながら、従来の作戦思想から「新たな戦い方」への意識変換は、大きな困難を伴った。これまでの作戦準備の経緯から脱却することへの抵抗感は、特に直接現地で陣地構築に任じていた師団レベル以下の沿岸配備部隊に強かった。これまでの後退配備で準備していた堅固な台地や丘陵での築城から、海岸砂丘における築城に切り換えることに関して、第一線部隊指揮官は上陸前の砲爆撃への耐久性などの技術的な問題や、築城資材の不足等を上級司令部の参謀たちに訴えてきた。しかし、それでも命令であれば従わざるを得ないのが軍隊組織であった。 

 また、5月中旬から8月上旬の第三次兵備下令により編成された部隊(19コ歩兵師団、15コ独立混成旅団)の中には、編成未完のものも多く、たとえ書面上では編成された部隊でも、装備未充足や低い訓練練度など戦闘任務を遂行する上で多くの問題を抱えていた。第1総軍司令官が7月17日に『第1総軍決戦綱領』を示達してから、九十九里浜正面の現地部隊(第12方面軍内の第52軍)では8月上旬になってようやく水際に主陣地を推進することに決まった。さらに第52軍の第一線部隊である第3近衛師団などが主陣地を水際に推進したその日(8月15日)に終戦となった。 

 一方、南九州方面を担任していた第2総軍の第16方面軍では、敵の上陸が切迫しているとの判断を楯に、現地軍は従来の計画との妥協案によってこれまで準備してきた「後退配備」の陣地の多くを活用することとなった。 

(以下次号)

2012/8/31