古の武人たちの歌
▽ 久米歌(『古事記』から) 

  みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 

   韮(かみら)一本(ひともと) そねが茎(もと) 

    そね芽繋(つな)ぎて 撃ちてし止まむ 

(現代語訳)天皇のご威光を身に受けた栄えある久米部の兵士たちが作った粟の田んぼに、韮(にら)が一本まじって生えた。その韮の根と茎と芽を一緒にして抜き取るように、一網打尽にして必ず敵を撃破してやるぞ。 

  みつみつし 九米の子らが 垣下(かきもと)に 

   植ゑし椒(はじかみ) 口疼(ひひ)く 

    吾は忘れじ 撃ちてし止まむ 

(現代語訳)天皇のご威光を身に受けた栄えある久米部の兵士たちが、垣根に植えていた山椒の実。あれを食べると辛くて口中がヒリヒリするのは、我軍がこれまでに受けた手痛い損害そのものだ。決して忘れまい。今度こそ必ず敵を撃破してやるぞ。 

  神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 大石に 

   這(は)ひ廻(もと)ろふ 細螺(しただみ)の 

    い這ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止まむ 

(現代語訳)風吹きすさぶ伊勢の海の大きな石に、群れなして這いまわるキシャゴ(殻径2〜3センチの巻貝)のように這いずり回って(=降りそそぐ矢をものともせずに匍匐(ほふく)前進して)必ず敵を撃破してやるぞ。 

【解説】『古事記』によれば、これらの歌は「天孫の御降臨」を護衛された天津久米部命(アマツクメノミコト)を祖とする大久米命が、神武天皇の東征に従軍したときに兵士たちに戦い方を示唆したり、労をねぎらい励ますために歌ったものである。また『日本書紀』によれば、はじめの二首は神武天皇が弟の五瀬命(イツセノミコト)が戦死したことから敵を討って仇をとりたいとの思いを歌われたものとされている。 

 いずれにせよ、誇り高き古の武人たちの勇猛果敢さや、苦しい戦(いくさ)を共に乗り越えてきた将兵たちへの深い愛情が感じられる。

2013/3/30