『南洲翁遺訓』全文
一 政府の中心にあって国の政(まつりごと)をやるということは、天道を踏み行うことであるから、少しでも私心を差し挟んではならないものである。徹底的に心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選び、そしてその職務をちゃんとやれる人を挙げて政治を執らせることこそ天意である。だから、本当に賢明で適任だと認める人がいたならば、すぐに自分の職は譲るぐらいの覚悟がなくてはならないものである。だから、どれほど国に手柄があった人でも、その職がうまくできない人に官職を与えて賞するのはいちばんよくないことである。官職というものは、その人を選んでこれを授けて、功績のある人にはお金をあげて大切にしておくのがよろしいのだと南洲翁が言われたので、しからば書経の中の仲(ちゅう)き(殷の賢い大臣)の詰(官吏を任命する辞令書)の中に、「徳の高いものには高い位をあげ、功績の多い者には報奨をたくさんあげる」というのがありますが、人格・能力と官職とを適当に配合し、功績と褒美がうまく対応するというのはこの意味でしょうかと開いたら、南洲翁は非常に喜ばれて、「まったくそのとおりだ」と答えられました。 

二 賢人たちがたくさんの役人たちを統轄して、政権が一つの方針で進んで、国柄が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を登用して、発言する道を開いて、世論を取り入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるかに一定の方針がなくなってしまう。そして、あらゆる仕事はばらばらでまとまりがなくて成功はしがたいものであろう。昨日出された命令が、今日たちまち変わるというようなこともみんな、根本に統一するところが一つの原理原則でないからで、政治の方針が決まってないからである。 

三 政(まつりごと)の根幹は学問を興し、軍備を強くし、農業を奨励するという三つのことである。その他いろいろな事柄は、この三つのものを助けるための手段である。この三つの中で、時代の趨勢によって、どれを先にするか、後にするか、その順序の違いはあるだろうけれども、この文武農の三つを後にして、他を先にすることは絶対ないであろう。 

四 すべての国民の上に立って政治の責任者は、いつも自分を慎んで、品行を正しくし、驕って贅沢(ぜいたく)な生活をすることのないように慎み、倹約し、仕事を勤勉にやって、人民の手本にならなければならない。そして、一般国民がその政治家の一生懸命仕事する姿を見て、気の毒に思うようでなければ政治は行われがたいであろう。ところが、維新になって新しい政権が立ったばかりであるのに、立派な家をつくり、立派な着物を着、美しい妾を抱え、自分の財産を増やそうなどということを考えるならば、維新の本当の成果を遂げることはできないであろう。今となってみると、維新の戦い、戊辰の正義の戦いも結局、私利私欲を肥やす結果になっていて、国に対しても戦死者に対しても面目ないことだと言って、しきりに涙を流された。 

五 あるとき、「人の志というものは何度も何度もつらい目を経てはじめて固まってくるものである。真の男子たるものは玉となって砕けても、瓦のようになっていつまでも生き長らえることは恥とするものである。自分が我が家に残しておくべき教えとしているものがあるけれども、それを知っているであろうか。それは子孫のためによい田を買わない、財産を残さないということだ」という七言絶句を示されて、この言葉に違うようなことがあったら、西郷の言うことはやることと反しているといって見限ってもらってもいいと言われた。 

六 人材を採用するときにあたって、君子(立派な人)と小人(凡人)との区別をあまり厳しくすると、かえって禍を大きくするものである。その理由は、この世がはじまって以来、世の中の十人のうち七、八人までは凡人だから、こういう凡人の心情を思いはかって、そのいいところを取って、これを下役に使って、その持っている才能や技能を十分発揮させることが重要である。藤田東湖も言っていました。「凡人というものにはそれぞれ才能とか技能があって、用いるには便利なものであるから、ぜひ仕事をさせなければならないのである。だからといって、これを上役に据えたり重要な役職に就かせると、必ず国をひっくり返すようなことにもなるから、決して上に立ててはいけないものである」と。 

七 どんな大きいことでも、またどんな小さいことでも、いつも正道を踏んで、至誠をつくして、決してどんなことでもいつわりのはかりごと(詐謀:さぼう)を用いてはいけない。人は多くの場合、あることに差し支えが出るときになると、策略を用いるものであるが、いったんその策略を通しておけば、あとはときに応じてなんとかいい工夫ができるように思うものであるけれども、策略というのは必ずそのツケが生じ失敗するものである。正道を踏んでいけば、目の前では回り道しているようだけれども、先にいけば、かえって成功は早いものである。 

八 広く諸外国の制度を採り入れて、文明開化を目指して進もうとするならば、まずわが国の国体をよくわきまえて、風俗を正しくし、そして徐々に外国の長所を考えて採り入れていくべきものであろうぞ。そうでなくて、みだりに外国の真似をするならば、日本の国体は衰えて、日本の風俗は廃れて、救いがたい状態になって、遂には外国に制せられ、国を危うくするであろう。 

九 忠孝、仁愛、教化の三つの道徳は政事の基本である。そして、未来永劫(えいごう)世界のどこにおいても欠いてはならない大事な道である。こういう道というものは、天地自然のものであるから、西洋といえども決して違ったものではないのである。 

十 人智を開発するというのは、愛国の気持ち、忠義の気持ち、親孝行の気持ちを開発することである。国のためにつくし、家のために努めるという人としての道が明らかであるのならば、すべての事業はそれについて進歩するであろう。あるいは、耳で聞き、目で見る分野を開発しようとして、電信をつけたり、鉄道を敷いたり、蒸気仕掛けの器械をつくりあげて人の耳目を驚かすこともあるが、なぜ電信鉄道がなければいけないのか、また、人間として欠くべからざるものは何かというところに目を注がないで、みだりに外国の強大であることを羨んで、利害や得失を論ずることもなく、家の構造から玩具にいたるまで一々外国の真似をし、贅沢の習慣がはびこり、お金をむだ遣いすれば、国の力は衰えて、人の心は軽佻浮薄に流れ、結局、日本は破産するようなことになるよりほか仕方がないのではないか。 

一一 文明というのは、道に叶ったことが広く行われることを称(たた)えて言う言葉であって、宮殿が荘厳であるとか、着物が美麗であるとか、外観が華やかで浮ついているということを言うのではない。世の中の人の言うことを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのかちっともわからないぞ。自分はかつてある人と議論をしたことがある。「西洋は野蛮だ」と私が言うと、その人は「いや文明だ」と反論した。「そうじやない、そうじやない、野蛮だ」と畳みかけて言ったところが、「なぜそれほど西洋は野蛮だと言うのですか」と強く言うので、私は「実際に文明というならば、未開の国に対しては、慈愛をもととして懇々として説いて聞かせて開明するほうに導くべきはずなのに、そうではなくて、未開蒙昧な国に対するほどむごたらしく残忍なことをして、自分の利益を図っているのは野蛮なことだ」と言ったところ、その人は口をつぼめて返答できなかったと南洲は笑われました。 

一二 西洋の刑法はもっばら懲戒を主として、残酷、苛酷になることを戒め、人を善良に導くようによく注意しているようである。したがって、刑務所の中の罪人をも、非常に緩やかに取り扱って、教訓となるような良書を与え、場合によっては親族や友達との面会も許すということである。もっとも昔のシナの聖人が刑罰というものを設けられたのも、忠孝仁愛の心から配偶者を失った者、孤児、年老いて子供のない者など頼りない身の上の人をあわれんで、そういう人が罪に陥るのを心配された心が深かったけれども、実際、実行の場では、いまの西洋のごとく配慮が行き渡っていたかどうかは書物の上では見当たらないようである。西洋のこのような点はまことに文明だとつくづく感ずるしだいである。 

一三 税金を少なくして国民を豊かにすれば、国力を養うことになる。そうすれば、国にいろいろな事件が多くて、財政が不足で苦しむようなことがあっても、定まった税金の制度を確実に守れば、政府が損をしても、民間を苦しめないものなのである。昔からの歴史の跡をよく考えてみなさい。道理が明らかでない世の中で、財政が不足なときは必ず、邪知に富んだ小賢しい考えの小役人を用いて、巧妙に厳しい税金を取り立てて、一時の不足を逃れるようにすることを理財に優れたいい役人であるとしたものである。そういう役人はいろいろな手段をもって苛酷に人民を苦しめるものであるから、人民は苦しさに堪え兼ねて、酷税を免れようと、自然、悪賢くなって、統治者も被統治者も税金を納めるものも納めさせるものも、お互いにごまかし合い、だまし合い、官吏と民間が敵となって、ついには国が分離して崩壊するようになっているではないか。 

一四 国の会計出納の仕事はすべての制度の基本で、あらゆる事業はみなこれから生ずるものであって、統治の上でもっとも要になるものであるから、慎重にも慎重にしなければならない。そして、その中心点を述べれば、「入るを量(はか)りて出づるを制する」、収入をはかって、それに応じた出費しかしない、これ以外に手はない。一年間に入る歳入をもってすべての制限を定めて会計を管理し、会計の責任者は身をもってこの制度を守るべきであって、予算を超過させてはならない。そうでなくて、そのときの勢いにまかせて制限を勝手に緩やかにして、支出を先にして、それに応じた収入をはかるようなことをするならば、重税を課して民間の血を絞るようなことをするよりほか仕方がなくなるのである。このようなことをすれば、仕事はいったん進むように見えるけれども、国力は疲弊して、救うべからざることになるであろう。 

一五 常備の兵数も、また会計の制限によるのである。決して無限の虚勢を張ってはいけない。兵隊の士気を鼓舞して、強い兵隊にすることができれば、兵隊の数は少なくとも外国との折衝に当たっても、また敵からなめられることを防ぐにも、事欠くことはないであろう。 

一六 道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は決してありえない。西洋の各国でもみな同じことである。上に立つ者が下に対して自分の利益だけを求めて正しい道義を忘れるときは、下の者も上のほうにならって、人の心はみな金儲けばかりのほうに向いてしまって、どんどん卑しい心が強くなり、道義だとか恥といったような道徳を失い、親子兄弟の間でも財産争いをし、お互いに敵視するにいたるのである。このようになっていったならば、何をもって国家を維持することができましょうか。徳川家は武士の猛き心をなくさせて世の中を治めたけれども、今は昔の戦国の勇猛な武士よりもなお一層勇猛な心を奮い起こさなければ、世界のあらゆる国と相対することはできないのである。 

 普仏戦争のときフランスは負けたけれども、そのとき、まだフランスは三十万の兵隊に三ヵ月の糧食があったにもかかわらず降参したとのことであるが、これは算盤勘定にあまり詳しかったからであると言って笑われました。 

一七 正しい道を踏んで、国を賭(か)けて倒れてもやるという精神がなければ、外国との交際はうまくいかないであろう。外国の強大なることに縮みあがってしまって、ただただ円滑に収めることを主として、自国の意思を曲げて言うままになって従うときは軽蔑を招き、親しい交わりをするつもりがかえって壊れ、ついには外国の制圧を受けてしまうのである。 

一八 話が国のことになったときに、嘆いた口振りで言われるには、国が外国から辱められるときは、たとえ国全体で立ち向かって負けても、言い分を通して、道義をつくすのが政府の本務である。しかるに、いつも金銭、穀物、財政などの議論をするのを開いていると、その人たちはいかなる英雄豪傑かと思われるようであるけれども、実際に血が流れるようなことになると、頭を集めてただ目の前の一時的な気休めの平和をはかっているだけである。戦いという一字をおそれて、政府本来の任務を落とすようなことがあったならば、商法支配所というもので決して政府というべきものではないのではないか。 

一九 昔から、君主と家来が自分たちは完全なものだと思って政治を行った時代にうまく治まった時代はない。自分にはまだ足りないところがあると思う態度からはじめて、民衆の言っていることも聞き入れるものなのである。自分が完全だと思えば、人が自分の欠点を言い立てるとすぐに怒ることになってしまう。だから、賢人君子という人は、そういう人の味方はしないものなのである。 

二〇 どんなに制度や方法を議論しても、そこの現場に当たる人が立派でなければ話にならない。適任者があって、その方法が実際に行われるものであるから、人こそ第一の宝であって、自分もそういうのに適した立派な人間になる心がけが必要なことである。 

二一 道というものは、天地自然の道であるから、学問を講ずるという道は「敬天愛人」を目的として、身を修めるには己に克つ(すなわち自分の欲望を抑える)ことと思って終始しなさい。そして、己に克つことの真の到達点は論語にあるように、「わがままをしない、無理押しをしない、固執しない、我をとおさない」ということである。 

 概して人間というものは己に克つことによって一人前(いっちょまえ)に成功し、己を愛することによって失敗するものであるぞ。よく昔からの人物を見るがよい。事業を始める人は、その事業の十のうち七、八まではよくできるが、残りの二を終わるまでなしうる人はまれであるのは、はじめはよく自分を慎んで仕事も丁寧にやるから成功もし、名声も現れてくるのである。ところが、成功して有名になるにしたがって、いつの間にか自分を愛する気持ちがおこり、おそれ慎むという気持ちが緩んで、おごりたかぶる気分が強くなり、そのなしとげた仕事を力としてあてにし、おれは何でもできるんだという過信のもとにまずい仕事をするようにいたって、ついに失敗するものなのである。これはみんな自分で招いた結果なのである。したがって、つねに自分にうち克って、人が見てないところ、人が聞いていないところでも自らを慎み戒めることが重要なのである。 

二二 自分に克(か)つということは、一つひとつそのときに臨んで自分に克とうとするから、なかなか自分の我(が)を抑えることができないのである。前々から、自分の精神を鍛えて我(が)を抑えられる人間になっているようにしておかなければならない。 

二三 学問を志す者はその規模を宏大にしなければならない。しかし、ただこのことにのみかたよってしまうと、身を修めることがおろそかになるから、常に自分の我にうち克(か)つように修養することが重要である。男というものは学問の規模を宏大にして、自己に克つようにして、他人を自分の心の中に十分取り込むぐらいの包容力がなければならないものであって、人にのまれてしまってはだめである。こうおっしゃって昔の人の教えを書いてくださいました。 

 「その志を広く押し広めようとする者にとって、その人のいちばんの欠点になりやすいところは、自分のことばかり考えて、ケチになって、卑俗な生活に安んじてしまい、昔の聖人を自分の手本としようとする気がなくなることである」。 

 いにしえの聖人を手本とするというのはどういうことですかと聞きましたところ、堯舜(ぎょうしゅん:古代シナの偉大な帝王)を手本として、孔子を教師とせよと言われたことであります。 

二四 道というものは天地自然のものであって、人はこれにのっとっているものであるから天を敬うことを目的とすべきである。天は他人をも自分をも平等に愛したまうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。 

二五 人を相手にしないで、常に天を相手にするように心がけなさい。天を相手にして、自分の誠をつくして人の非をとがめるようなことはしないで、自分の真心の足りないことを反省しなさい。 

二六 自分を愛する(注:この場合は「自分のことを第一に考える」という意味)ということはよくないことのいちばんのことである。修業ができないのも、事業が成功しないのも、間違ったことを改めることができないのも、自分の手柄を誇って生意気になるのも全部、自分を愛するためであるから、決して自分を愛してはならないものである。 

二七 間違ったときに改めるにあたっては、自分が誤ったと思いついたらそれでいい。そのことをさっぱり思い捨てて、ただちに一歩前進することだ。間違ったことを悔しく思って取り繕おうとして心配するのは、例えば茶碗を割って、そのかけらを集めているのと同じことでどうしようもないことである。 

二八 道を行うということに対しては、身分の尊いとか卑しいとかの区別はないものである。要するに昔で言えば、古代シナの堯舜は主として国のすべての政事(まつりごと)を執っていたが、元来の職業は教師であった。孔子は魯の国をはじめどこに行ってもろくに用いられず何度も困難な目に遭って、身分の低い人間として一生を終えられたけれども、三千と言われるその弟子はみんな教えにしたがって道を行ったのである。 

二九 聖人の道を踏み行う人はどうしてもいろいろな困難や災厄に遭うものであるから、どんな苦しい難難に遭っても、そのことが成功するか失敗するかということ、自分が生きるか死ぬかということにあまりこだわってはいけないのである。事を行うのには上手と下手があり、ものには出来る人と出来ない人があり、自然と道を踏み行うことについて疑念を持ち心を動かす人もあるけれども、人は道を行うことになっているものであるから、道を踏み行うには上手も下手もなく、出来ない人というのはいない。だから、道を踏み行うことだけは誰でもできるものである。ゆえに、ただひたすら道を行い、道を楽しみ、そして艱難(かんなん)に遭ってもこれを凌(しの)ごうと決心したならば、いよいよ道を行って、道を楽しむようでなければならない。私は若いころから艱難という艱難に出合ってきたので、今はどんなことに遭っても動揺はしないと思う。それだけは仕合わせだ。 

三〇 命もいらず、名もいらず、官位もいらず金もいらないという人は始末に困るものである。しかし、この始末に困るような人でなければ、艱難をともにして国家の大業はなしえないのだ。このような人は普通の人の眼には見抜くことができないと言われるので、孟子が、「人は仁という天下の広々とした邸宅に安住、礼という天下の正しい位置に立脚して、天下の大道を行うべきものである。志を得て用いられれば、人民とともに仁と礼と義の道を行い、志を得ず仕官できないときは独りでその道を行う。どんな富や官職をもってもその人の志を汚すことはできないし、どんなに貧しく身分が低くてもその人の心は変わらないし、その人をいくら威武を用いて屈伏させようとしてもできないというのが本当の大丈夫(だいじょうぶ)と言うのである」と言っていますが、これが今言ったような人物のことですかと聞いたら、「いかにもそのとおりで、道をちゃんと踏み行う人でなければ、こういう気性は出てこないものである」と言われました。 

三一 正しい道義を行っていく者は、国中の人が寄ってたかってそしるようなことがあっても、不満は言わず、天下をあげて誉めても、十分満足しない。それは自らを信じるのが厚いからである。そのような人物になる工夫は、韓退之(かんたいし)の伯夷(はくい)の行為をたたえた文章を熟読して会得しなさい。 

三二 道に志す者は大きな功業勲烈だからといって、それを尊ばない。その本となる徳を先ず尊ぶものなのである。司馬温公(*@)は自分の寝室の中で妻としゃべったことでも、他人に言えないことはないと言われた。独りを慎むという司馬温公の学問は推して知るべきである。人の意表に出て、あっと言わせて一時的にいい気分になるのは未熟なことであるから、十分謹しむべきである。 

*@ 司馬温公=宋の学者・政治家。字(あざな)は君実。神宗のとき、王安石の新法に反対して政府を去り、のち哲宗のときに復帰し、新法を廃して敬愛された。『資治通鑑』はその主著。死後、太師温国公の称を贈られたので温公とも呼ばれる。 

三三 平生から道義を踏み行っていない人は、ある事件に出合うとあわてふためいて、適切な処理ができないものである。例えば近くで火事があった場合、平生そのときの心構えを持っている人は動揺をしないで始末がよくできるのである。ところがいつも、そういう心がけのできない人たちはただただあわてふためいて、なかなか処理することができるどころではないものである。それと同じで、平生道を踏み行っている者でなければ、新しい事態が起こったときに、対策は出てこないものである。私はかつて、出陣の日に兵士たちに向かって、我が軍の備えが整っているか整っていないかを、ただ味方の目で見ないで、敵の心になって一つ衝(つ)いて見なさい。それが第一の備えであると言ったことがありました。 

三四 策略というものは普通のときは絶対やらないほうがいいぞ。そういう策略をやると、あとでその結果がよくないことがはっきりして、必ず後悔するのである。ただ、戦争の場合だけははかりごとがなければならない。しかし、平日はかりごとばかりやっていれば、いざ戦いということになったとき、うまいはかりごとができないものである。孔明は普通のときは策略を用いなかったから、いざというとき思いもよらないはかりごとを行うことができたのである。自分はかつて東京を引き揚げるときに、弟(従道)に向かって、自分はこれまで少しもはかりごとをやったことがないので、ここを引き揚げても跡は少しも濁ることはないぞ。それだけははっきり見ておけと言っておいたとのことである。 

三五 人をごまかして陰でこそこそ事を企てる者は、たとえそのことがうまく行われても、慧眼(けいがん)の人から見れば実に醜いものであるぞ。人に対しては常に公平で真心をこめて接しなければならない。公平でなければ傑出した人間の心は決してつかむことができないものであるぞよ。 

三六 聖人賢士になろうとする志もなく、また昔の立派な人がやったことを見て、「とても私にはできることではない」というような心がけならば、戦に臨んで逃げるよりもなお卑怯なことである。昔、朱子も、自刃を見て逃げる者はどうしようもならぬと言われたものである。誠意をもって聖賢の本を読み、その聖賢たちが事にあたってやった精神を身につけ、自分の心の中で検証するような修行もせず、ただ「このような言葉があった」とか 「このような事があった」などというようなことを知っても、そんなものは何の役にも立たないものだ。私はこの頃、人の議論を聞いていて、いかにもっともらしく議論するとも、その行為に精神が行き届いていなくてただ口先のことだけであったら、少しも感銘はしないのである。本当にその行為がちゃんとできる人を見れば、私は立派なものだと深く感じ入るのである。聖賢の書物をただうわべだけで読むだけならば、例えば他人が剣術をやっているのを脇から見ているのと同じで、少しも体得できないものである。自分で体得できないならば、万一「刀をもって立ち合え」と言われた場合は、逃げるよりほかないであろう。 

三七 この世の中でいつまでも信じ仰ぎ見られ、また喜んで心から従うことのできるものはただ一個の人間としての真心だけである。昔から父の仇を討った人の数は数え切れないほどいるだろうけれども、ただ曽我兄弟だけがいまにいたって女子供までも知らない者がないのは、衆に秀でて真心が厚かったからである。真心がなくて世の中でほめられるのは、偶然の幸運である。真心が篤(あつ)ければ、たとえそのときは人に知られることがなくても、後世には必ずそれを認めてくれる心の友ができるものである。 

三八 世の中の人がよく言うチャンスというのは、多くはまぐれ当たりで得た幸せのことである。本当のチャンスというのは、道理をつくして行って、そして時勢の動きをよく見極めて動くということから生ずるものである。平生、国や世の中のことを憂うる真心が厚くもないのに、ただ時のはずみに乗って成功したというものは決して長続きしないものであるぞよ。 

三九 今の人は才能、知識があれば事業はどんなものでも思うように成功するものだと思っているけれども、才に任せてやるのは危なくて見ておられないものであるぞ。実質的なものがあってこそその応用が利くのである。肥後の長岡先生のような立派な方は、今は似たような人も見ることはないと言って嘆息されて、古語をお書きくださった。 

 それ天下は誠にあらざれば動かず。才にあらざれば治まらず。誠の至る者は、その動きや速やかなり。才のあまねき者はその治むるや広し。才と誠とを合して、しかるのちに事成るべし。 

四〇 あるとき、翁が犬を連れて兎を追って、山や谷を渡り歩いて一日中狩りをして暮らした夕暮れに、宿に泊まって風呂に入り、実に心身爽快と見える様子だったが、そのとき悠然として、「君子の心は常にこのようにありたいものだ」とおっしゃいました。 

四一 自分で修養し、自分の心を正しくして立派な紳士の形をしても、ことに当たってその処理が十分できなければ、それは木でつくった人形と同じことである。例えば、数十人の御客さんがにわかに押しかけてきた場合、たとえどんなにもてなそうと思っても、前から茶碗とか道具の準備ができていなければ、ただ心配するだけでもてなしのしようがないであろう。いつでもそういう道具の準備があれば、何人来ても数に応じて接待することができるものである。だから、平生の用心が肝腎だと言って、古い言葉を書いてくださった。 

 学問というのは文筆の業(わざ)をいうのではない。必ず事を処するの才あることをいうのである。武というのは剣や楯をうまく使うことではないぞよ。必ず敵を知って、これに対応する知恵があることをいうのである。才能と知恵のあるところはただ一でそこがもとなのである。 

追加一 ある事柄が起こったときに、考えの乏しいことは心配することではない。およそ思慮というものは平生静座をして黙然(もくねん)として考え際においてすべきである。有事のときにいたれば、それは十中八、九は実行されるものであるから、平生よく考えておけば心配ない。ある事件が起こったときに、その場で突如、軽はずみに考えることは、例えば床の中で夢を見ているようなときに奇策、妙案があっても、翌朝になって起きてみると、役にも立たない妄想みたいなものであるようなことが多いものである。 

追加二 漢学を勉強した人は、ますます深く漢学によって道を勉強すべきである。道は天地自然のものであるから、東西の別はないのである。いやしくも、現在の世界が対立している様子を知ろうと思うならば、春秋左氏伝を熟読し、それに助けるに孫子をもってすべきである。当時の形勢と今と大差のないことがわかるであろう。 

  

 訳文出典:渡部昇一著「『南洲翁遺訓』を読む わが西郷隆盛論」致知出版社

2013/5/31