日本はここにある! 明治天皇と乃木大将
明治37(1904)年2月から同38(1905)年9月までの日露戦争は、開戦時は世界中が日本に勝算はないと見ていた戦争だった。 

 当時、世界一の陸軍国ロシアの兵力は三百万人、日本の兵力は二十万人だった。しかし、座して植民地となるよりは、一矢を報いて有利な講和を、との意気に燃え立った当時三千万の日本国民が、君民一体となって戦ったことでついに勝ち、植民地の苦しみに喘(あえ)ぐ東南アジアの人々の心に独立の火を点じた。 

 戦争の分岐点は、難攻不落とされた旅順要塞の攻略であり、これを指揮したのが、乃木希典大将であった。戦闘は累々たる屍を乗り越えて約7ヵ月を要し、翌年の1月1日に旅順は陥落した。 

 旅順陥落後の乃木大将とステッセル将軍の会見では、乃木大将が「昨日の敵は今日の友」とし、ロシア軍の武人としての誇りを重んじた。乃木大将の態度は世界中で賞賛され、その紳士的で寡黙な雰囲気は、外国での日本人像に多大な影響を与えた。 

  

 日露戦争に勝利し、国民は凱旋将軍の乃木大将を歓喜して迎えた。しかし、多くの将兵を失った呵責(かしゃく)から、大将は意気消沈していた。また、かつて西南戦争(明治10年)で軍旗を奪われた責任からも、自分を責めていた。 

 明治天皇に拝謁し、旅順の戦況報告では亡き将兵を思って声を詰まらせた大将は、その責任からすべての役職の解任を願い出た。それに対して明治天皇は、 

 「負ける戦いなれど、乃木なればこそ」 と心から慰労のお言葉を述べられ、 

 「乃木は辞められるからいいな」。・・・ 間をおいて 

 「天皇は辞められない」 と仰せられて、しばし無言となられた。場は静寂に包まれ、参列者はその大御心の深さに涙した。 

 乃木大将は、陛下のお言葉の重みで立っていることができず、その場に声を上げて泣き崩れた。 

 ようやく人に支えられて立ち上がった大将が一礼して帰る後ろ姿に、陛下は、 

 「乃木よ、早まるな!」。・・・ そして、 

 「乃木には、まだやることがある」 とおっしゃった。 

 陛下に切腹の決意を見抜かれた大将は、その温情に涙し、自決をとどまった。 

  

 数日後、乃木大将に学習院院長としての大命が下った。 

 明治天皇は乃木大将に、 

 「お前は、二人の子供を失って寂しいだろうから、その代わり沢山の子供を授けよう。」 と仰せられた。 

 乃木大将は日露戦争で二人のご子息を失っていた。 

 以来、陛下のご信望にこたえるべく、裕仁親王(後の昭和天皇)をはじめとする皇族、華族の子弟の教育に、乃木大将は自らの全人格を注いだ。学習院の校内に寝泊まりしたこともあったという。 

  

 明治45(1912)年7月30日、明治天皇がご崩御なされ、乃木大将が葬儀委員長となり、9月13日が国葬と決定された。 

 国葬の前日に大将は、十歳だった裕仁親王を訪ね、山鹿素行の『中朝事実』を、必ず熟読されるように、と差しあげた。親王殿下は、ただならぬ気配に思わず、 

 「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」 とお聞きになった。 

  

 昭和天皇は晩年、「私の人格形成に最も影響のあったのは、希典学習院長であった。」 と申されておられたように、乃木大将こそが生涯で最も尊敬する人物であられた。 

  

 9月13日、国民の悲しみの中に、明治天皇の国葬が執り行われた。 

 「乃木よ、早まるな!」 と仰せられ、陛下に命を預けてから、七年がたっていた。 

 葬儀委員長の大任を果たし終えて、乃木邸に帰った大将は、 

  

   うつし世を 神去りましし 大君の 

      みあとしたひて 我はゆくなり 

  

 という辞世を詠み、武士の作法で切腹し、六十四年の生涯を閉じた。遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償(つぐな)うための死でもあるむねが記されていた。 

 また、静子夫人も、 

  

   出でまして かえります日の なしときく 

     けふの御幸(みゆき)に 逢ふぞかなしき 

  

 と詠み、明治天皇と大将のみあとを慕い殉死なされた。 

 このできごとは当時の社会にきわめて衝撃的にうけとめられた。 

  

 国葬の一週間前のことである。 

 乃木大将は、学習院の講堂で講話をなされ、その最後に、 

 「みなさん」 と言葉を切って、「日本は、どこにありますか?」 と問いを発した。 

 少年たちは、「東経何度」とか、中には 「世界地図の赤く塗られたところ」等々、様々に答えた。 

 大将は、一つ一つにうなずいた後、 

 「みんな、間違っていないよ。しかし、本当の日本は、・・・」 と言葉を強くし、ポンと胸を叩いて、 

  

 「みなさん一人一人の胸三寸に、『私は日本人だ』という心に、本当の日本があるんです!」 

  

とおっしゃられ、深々と一礼して壇上を降りられた。 

 瞬間、院長の意外なお言葉に唖然(あぜん)とした子供たちは、すぐに、静かに廊下を去る乃木大将の後姿に、万雷の拍手を送った。 

  

(「日本はここにある! 明治天皇と乃木大将」終り)

2013/6/14