千葉周作−生きる道−
 それ剣は瞬速、心、気、力の一致 

           千葉道場総師範 千葉周作 

  

 北辰一刀流無想剣の創始者、千葉周作が、ある夜、屋敷の奥に寝ている時、道場の門弟が次ぎの間(つぎのま=貴人の居室の隣の間)に来て声をかけた。 

 門弟「先生、お目ざめでございますか。・・・」 

 周作「ああ、起きている。」 

 門弟「ただ今、茶道家の春斎と申す者が、先生に急にお願いがあって参ったのだと、玄関まで来ております。先生はすでに御寝になっておられるから明日にでも・・と申しましたが、どうか先生に取り次いでいただきたいと、しきりに願っておりますので、いかが致しましょうか。」 

 周作「何の用件だ。」 

 門弟「醜(みにく)くない殺され方を 是非、先生からお教え願いたいのだと申しております。」 

 周作「ほう、面白そうな奴だな。よし、通してよろしい。」 

 門弟「はい。」 

 すぐに門弟が、茶道の春斎という男を、屋敷の奥まで案内してきた。もちろん千葉周作とは初対面であった。 

 周作「醜くない殺され方を知りたい、とのことだと聞いたが、どういう事なのか。」 

 そう問われた春斎は、思わず床に手をついて頭を下げて言った。 

 春斎「はっ、主人に急用を申し付けられて、駿河台まで参りましたが、その途中、護持院ヶ原(江戸城の北、竹橋付近)にて、浪人の辻斬りに、出会いましてのでございます。」 

 周作「それで・・、立合ったのか。」 

 春斎「いえ。私は今、主人からの重要な命を受け持っておりますので・・・。主命を果すまで待ってもらいたい。帰りには必ず斬られに参ろう、と約束いたしました。」 

 周作「はあ、それならば帰りには、他の道を通ってまいればよかろう。」 

 春斎「しかし、約束をいたしました。」 

 周作「それならば、斬られに行くのか。」 

 春斎「私も丸腰の人間とは申せ、武家に仕えて禄を食(は)む者、命を惜しんで約束を破ったとあっては、主君の御前にすみませぬ。」 

 周作「いかにも、人の道はそうあるべきだ。」 

 春斎「しかし、太刀(たち)をもつ術(すべ)も知りませぬ。せめて醜くない殺されようを、先生より教えて頂きたいと存じます。」 

 周作「面白いな。・・待てよ。」 

 千葉周作は、枕もとにある一刀を手に取り、鞘(さや)を抜き放って両手で構え、そして上段に振りかぶると、目を閉じて見せた。 

 周作「春斎。」 

 春斎「はっ。」 

 周作「この通りに構えて見よ。」 

 刀を渡された春斎は、立上ると、諸手上段(注:両手で太刀を頭上に振り上げ、片足を前に出す構え)に振りかぶって、同じように目を閉じた。 

 周作「うむ、さうだ。もっと足を開け。」 

 千葉周作は、正しい姿勢、丹田(たんでん:へその少し下のところ)へ力を入れる要領、呼吸の使い方など一通りを春斎に教えた。 

 周作「よいか、その構えで、身体のどこかがヒヤリッとしたと思ったら、ただ打ちおろせ。目をあけるな。醜くない死に方ができるであろう。」 

 春斎「はっ、ありがとうございます。」 

 周作「その太刀を遣(つか)わす。持って参れ。」 

 そして翌日・・・ 

 春斎は、いよいよ死ぬ覚悟である。護持院ヶ原へきてみると、 

 浪人「よう、坊主、まいったか。」 

 捨石に腰を下していた浪人は、立上りながら、 

 浪人「ほう、太刀を持ってきたな。」 

 春斎「約束によって、斬られにきた。さあ斬れ。」 

 抜き放った春斎は、教えられたとおりに上段に振りかぶると、目を閉じた。 

 浪人は、星眼(剣先を相手の顔面の中心に付ける中段の構え)に構えて、じりじりと寄って行く。そして春斎を見つめながら、ピタリと動かなくなった。 

 春斎は、必死に目を閉じて、ヒヤリッとしたら打ちおろそうとしている。 

 しばらくすると、 

 浪人「坊主、なかなかやりおるのう。相討ちになってもつまらぬ。引くぞ。」 

 鍔(つば)音を響かせて刀を収めると、浪人はそのまま立ち去っていった。 

 やっと目をあけた春斎、・・・自分が生きていることがわかって、すぐに千葉先生の所へお礼を申しにきた。 

 先生は門弟に言った。 

 「自分が生きようとか、相手を斬ろうとかいう念がなかった春斎だからこそ、無想剣の真意を、忽(たちま)ちのうちに会得したのだ。」 

 身を捨ててこそ生きる道あれ、と山岡鉄舟の詠んだ歌にもある。 

 自身の利を思わず、相手を損(そこな)わず、処世の要諦(注1)も、真に生きる道は、この間の消息(注2)にあるように思われる。 

  

 (注1):ようてい、物事の最も大切なところ。肝心かなめの点(デジタル大辞泉) 

 (注2):人や物事の、その時々のありさま。動静。状況。事情。( 同 上 ) 

  

(「千葉周作−生きる道−」終り)

2013/6/21