【第2回】兵士たちを命令に従わせるには
▽ ごあいさつ 

 皆様、こんにちわ。日本兵法研究会会長の家村です。 

 本メルマガ記事のタイトルを現代風にわかりやすく「楠木正成のリーダーシップ」とせずに、あえて「楠木正成の統率力」としたのには深い意味があります。 

 そもそも「統率」とは何でしょうか。それは読んで字のごとく、指揮官や指導者などのリーダーが多くの人々の心を統一し、目標とする所まで率(ひき)いて、組織として目的を達成することです。 

 統率の概念は、指揮(コマンド)、統御(リーダーシップ)、管理(マネージメント)の三つを含んだものであり、その機能は、指揮官として部下を使う(主)、教育者として部下を教え導く(師)、親心をもって部下を養い育てる(親)という三つの面が総合されたものだとも云われています。 

 そして「統率力」とは、いかに厳しい環境下でも「平常心」をもって組織を正しく統率できる能力です。 

 ちなみに、近・現代の軍隊では、中隊長以上の指揮官を「コマンダー」、小隊長、班長、組長などの小部隊指揮官を「リーダー」と云います。この違いは、部隊の大小だけではなく、自己完結性をもって主体的に行動できるか、あくまで組織の一機能としてしか存在できないか、にあります。つまり、中小企業でも社長は立派な「コマンダー」であり、大企業でも係長・課長は「リーダー」なのです。 

 このように「統率」とは、リーダーシップを包含したさらに大きな概念であり、本メルマガ記事も、コマンダーである楠木正成の「統率力」について述べるものなのです。 

  

【第2回】兵士たちを命令に従わせるには 

▽ 楠木正成の遺志を伝える『一巻之書』 

 兵庫へと向かう楠木正成は、息子の正行(まさつら)を桜井の宿まで呼び寄せ、父の遺志を継ぐよう教え諭して「巻物」と祖父伝来の刀を渡し、河内へと帰らせた。兵法の天才・正成は、統率について正行にどのような教えを遺そうとしたのであろうか。 

 この巻物に記された「楠公の遺訓」を後世に伝える書物は多々あるが、その代表的なものが『楠正成一巻之書』である。 

 『楠正成一巻之書』は、その記述のほとんどが実戦的な戦術や戦法についてであるが、全篇の最初にまず、「大将衆(もろもろ)を下知(げぢ)に随(したがわ)しむべき事(=大将は兵士たちを命令に従わせなければならない)」として、統率の基礎をなす「命令と服従」について書かれている。また『一巻之書』は、戦場における将兵の心理や、人を知ることの重要性についても言及している。 

  

▽ 大将衆を下知に随しむべき事 

 大将は多くの兵士たちを命令に従わせねばならない。戦場においてそれぞれの兵士を使うのは、平素に人を使うのと同じことである。君臣の道は、平素も戦時も変わるものであってはならない。しかしながら、戦(いくさ)に馴(な)れていなければ、将軍も兵士もともに血気盛んになって平常心を忘れ、兵士たちは将軍の命令や指示を聞かず、将軍は戦に勝つべき道理を見つけられないがゆえに、軍の配備をみだりに変更して、必ずや敗れるものである。これを闇主盲将(あんじゅもうしょう)というのである。 

 優れた将軍は言行ともに平素と変わらず、戦に勝つべき道理によって兵士を平素のごとくに使うので、兵士の血気も冷めて百万の大勢力であっても将軍の命令に従わないということがない。兵士が大将の命令に背くことがないときには、未だ戦の訓練を重ねていない兵士であっても剛毅な兵となる。源頼義が「他軍の実戦に馴れている兵士と我が軍の実戦を経験していない兵士とで合戦しても勝てる術がある」と云っていたのがこれである。源義家が「農工商の三民を率いて、愚将の下の剛士(強豪の兵士)に勝てる道がある」と云っていたのもこれである。新田義貞は寝起立居(ねおきたちい)において常に兵士を練磨していたが、これもまた平常をもって軍法(=戦に勝つ方法)に活用したのである。 

 また、武道の妙という事がある。戦は、道をわきまえた人も無道の人も勝ち、理を欠いていても勝ち、道理に適(かな)っていても負け、大勢も負け、小勢も勝ち、勇剛な者も負け、柔弱な人も勝つものである。これらは皆、あってはならないことだけれども、戦に限っては有りうることなのである。 

 武道の妙を知っているのと知らないとの二つである。このことに思いを致して創意工夫しなければならない。 

  

▽ 戦場に出て心得べき事 

 戦場においては心を天地にめぐらし行動を定めなければならない。心も行動も変転する時には、戦のやり方も粗雑になりがちであり、その結果として兵士を多く損するものである。粗雑なことを避けようとすることによって実(充実した状態)となるのである。 

 また、戦場において常に「言うこと」を忘れてはならないともいわれる。大将の心を本来の姿に還し、心を支配しているものを抜き去り、一時の暗闇が明るくなるときには、兵たちの気も定まって、冷静にして平常のようになるものである。 

 戦いが始まる時は将兵ともに血気が上がり、前後左右が分からなくなることも一時はあるものだ。一時が過ぎてしまえば将兵ともに戦に慣れて、臆する心がさっと失せ、勇気に満ちた本心が出てくるものである。平生でさえ高貴なお方の前に初めて参会すれば、その人に向かっては臆するものである。まして戦場において臆さないことがあろうか。 

 戦は初めてのときは闇夜のように勝負のある所をわきまえず、二度目は月の夜のようであり、三度に及べば夜が明けたかのようである、と云われる。それゆえに、戦に慣れればいよいよ血気を覚えて勝負を知るものである。これが中ぐらいの勇気のなせる業である。上の勇気や下の臆病は論ずるまでもない。 

 このほかにも総じて勇気には「曲(くせ)」と云うものがある。耳が臆することがある。これは事を聞いて恐れることである。目が臆することがある。これは敵を見て恐れて気色を変ずることである。(表面上は)言葉が多いことがあり、無言になることがあり、機嫌が良いことがあり、うかうかとして悩んでいるようになることがある。これらは皆、血気に侵されて平常心が変化しているのである。この形相は一時の間であり、やがては勇気がわいてきて剛毅となる、これを曲と云う。この形相から本来の勇気に還らないのを「臆病」というのである。これを治療する薬があるが、これについては省略する。 

 さらに、戦に必ず勝てると思われる謀は少ないものだとも云われる。(勝てると信じていながら)負けてしまう事は多いものである。よくよく心に留めておかねばならない。 

  

▽ 人を知べき事 

 人を知らねばならない。人の心は様々であるから、聖人や大賢と呼ばれたような人でさえもこれを完璧にできたことはない。それゆえに、天下国家の主であるといえども、近習(きんじゅう=主君の側近で奉仕する役)の五〜六人と奉行頭人(幕府の役人)の賢愚・佞奸(ずるくてよこしまな思い)・利欲・私欲を悟ることができれば、万民もまたそれと同じようなものである。このことを知っているのを「明将」と云うのである。 

 闇主(あんじゅ)は自分の郎党が善である(優れている)のを知らず、他の郎党が悪である(劣っている)のを誉め、勇ましいだけの兵を将となし、心が定まっていない者を頼もしい兵だと云い、偽者であるのを有能な人と思い、血気に走ったために死んだのを定死(=戦のため止むを得ない死)と思い、定死を逃れたことをも誹(そし)らず、愚かな死を勇ましいと思い、主の命令を聞かずに我が身のために死んだのを忠節と思う。これは皆、武の道を知らないためである。 

 死するにおいては、武人の道を踏まえてあれこれと思慮をめぐらし、物の道理を明らかにしなければならない。武の道における死は、志をもって忠節を顕わし、家を失い、名を捨て、主君のためには定死をも逃れない。これが義であり道である。また、山賊や海賊のように私利を手に入れようとして卑しく死ぬようなことを盗賊の勇と云い、武の道においては無謀の死であって、これを勇とは云わない。 

 将は将の道を知り、兵は兵の武芸を習うのは、ただ命を全うして手柄を立てるためである。死ぬことだけが武道ならば、誰が武芸を習うだろうか。生死の二つについては、細々と詮索すべきものであるが、闇主はこれを悟らない。よく心得ておくべきことである。 

 また、武勇があって賢い人がある一方で、臆病でも賢い人がある。これは謀反をおこす者である。また、将軍の命令に従って敗軍の時に一番に引き返すのは、忠であり、勇である。将軍の命令が無くとも、それができるのが忠であり、義であり、勇である。将軍の命令が無ければ抜け駆けするのは、不忠である。 

(付記)将の器にあらざる者に謀(はかりごと)をにわかに教えて行わせると、戦は危うくなり、事は成功しないものである。将の器である者は、言葉は少ないが要を得ているものである。人を知ることは、武の肝要(=最も重要なこと)である。 

(「兵士たちを命令に従わせるには」終り)

2014/5/30