【第3回】将の道
▽ ごあいさつ 

 皆様、こんにちわ。日本兵法研究会会長の家村です。 

 兵法の天才・楠木正成は没後、室町幕府により賊とみなされ、著しく名誉を失墜していましたが、戦国末期には恩赦され、武士たちの間でも『太平記』が盛んに読まれるようになりました。同時に楠木正成の戦術・戦法の研究も盛んになりました。 

 桃山時代の日蓮宗本国寺(京都)の僧・陽翁は、諸国の修行中に肥前唐津において、名和長年の子孫である名和正三に会い、『太平記評判秘伝理尽鈔(以下、「太平記秘伝理尽鈔」とする)』を伝授されました。名和長年は、隠岐から脱出した後醍醐天皇を迎え、船上山での挙兵に協力した勤皇心の厚い武将でした。陽翁は、この『太平記秘伝理尽抄』を研究して、『陽翁伝楠流』と称する兵法を始めました。この後、陽翁は加賀の金沢藩主三代・前田利常に仕え、自らの兵法を金沢藩士を通じて関東にまで広めました。 

 『陽翁伝楠流』の代表的な兵書『太平記秘伝理尽抄』は、正保2(1645)年から版を重ねて流布され、兵法の流派を超えて大いに普及しました。山鹿流兵法の祖・山鹿素行は、この『太平記秘伝理尽抄』を最も愛読した人物であり、楠木正成の兵法は素行の兵法思想にも多大な影響を与えました。 

 それでは、本題に入りましょう。 

  

【第3回】将の道(「太平記秘伝理尽鈔巻第二 南都・北嶺行幸の事」より) 

▽ 戦う天台座主、大塔宮護良親王 

 『太平記』によれば、鎌倉幕府を倒すために、南都・北嶺(奈良と比叡山)の衆徒を味方に引きこもうと謀られた後醍醐天皇は、元徳2(1330)年2月8日、東大寺・興福寺へ、同月27日には比叡山延暦寺へと行幸された。この時、延暦寺の天台座主は、後醍醐天皇の第三皇子、大塔宮護良親王(おうとうのみやもりよししんのう)であった。大塔宮は座主という仏教界で最高の地位にあられながら、お経を読まれず、武芸の修練に余念がなかった。 

 大塔宮は、太刀打ち(太刀を抜いて戦うこと)などの武芸を毎日鍛錬され、兵法の七書(『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『司馬法』『尉繚子』)を会得されておられたが、経典やそれ以外の書物には、全くご興味がなかった。また、七尺の屏風を座ったままで、後ろへ投げ飛ばされるほどの怪力の持ち主であられたという。 

  

▽ 将が備えるべき勇とは 

 勇には「将の勇」と「兵の勇」の二つがある。 

 「将の勇」とは、才能と智恵のどちらも兼ね備えており、よく兵士たちの心の中をさとり、兵士らに下知(命令)するにも、先ず彼らを愛し、彼らを服従させる。そして、謀を回らせて敵を撃滅し、戦場に臨んでは、一命を軽んじて諸々の兵たちを勇敢にさせ、十分に敵の強弱、軍勢の多少、地形の利・平・鈍、人の和、天の時を知る。それだけではなく、敵の将軍の謀や勇猛さを量り、また、軍の進退を知るなどである。 

 以下、それぞれについて簡単に述べる。 

  

▽ 兵たちの願いを知り、満足させる 

 初めに兵士たちの心を知って愛するというのは、将たる人は出陣にあたって、人々の心を知って、願いを満足させよ、ということである。欲深い者には身分に応じて財宝を与え、戦(いくさ)を有利にしたならば、雑具・所領・金銀などの類いを与えることを約束せよ。官位を願う者には、少し官職を与えて、戦を有利にしたならば、高位・大官を授けようと約束せよ。いかなる宝をも惜しんではならない。ただし、金銀などを過分に与えれば、兵の心の中に怠りが生じることがある。また、所領については、その場でみだりに与えてはならない。与えることを約束した印のみを与えておくのである。 

  

▽ 合戦後の恩賞をどうするか 

 恩賞を与えるか、与えないかの判断は、理非によってはならない。一を捨てて十を取り、十を捨てて百を取れ。強きを取って弱きを捨てよ(強い者を優先して賞せよ)。 

 賞を与える基準は、その時々に応じた言い方をせよ。これが謀である。世の中が治まって後に、戦の前の約束は反故(ほご)にせよ。これが戦の智謀である。反故にするにも段階がある。大手柄であるならば、約束を反故にしてはならない。手柄により、約束の中身により、その人の器量によって、それぞれに応じた賞を与えよ。これらに対して恨みを訴える者があれば、その程度に応じて厳罰に処せ。訴えはたちまちに止むであろう。これを愛という。 

(筆者注)これは冷酷なようであるが、このようにして次の合戦の邪魔になる者を排除し、不平分子を一掃すれば、戦に勝ち、諸々の兵たちも身を立てることになるのであるから、これが「愛」なのである、とするもの。いつの世も、公正に賞を与えるのは難しいものであり、自分を低く評価されたとして不満を抱くものが必ず存在するという真理に根ざしている。 

  

▽ 戦場では恐れず戦うべし 

 戦場では一命を軽んじるというのは、将たる者が戦に赴(おもむ)くときには、よく謀を回らして、合戦に勝算があるならば、恐れることなく戦をせよ。策略を十分に深いものにして、恐れてはならない、という意味である。怯(おび)えていては合戦にならないのである。それゆえに、勇こそが将たる者の根幹をなす。 

 また、臆病ということがある。時の声に驚いて、気持ちが動転し、魂を失うなどの類いである。こうした臆病な性格は、いくら鍛錬しても治らないのだから、いっそのこと武士をやめてしまうのがよい。 

 さらに、兵の命を軽んじるというのは、将の下知(命令)を守って死することをいう。忠誠とは、君主の命に代わって討ち死にすることを思い、君主の威を輝かすことのみを願って、我が身を顧みないことである。  

 

▽ 兵たちを勇敢にさせる方法 

 これには、次の三つの方法がある。 

 一つには、敵の非道と弱さを挙げて、勝つべきことを説く。 

 二つには、忠節があれば禄を与え、官位を授けることを約束する。 

 三つには、昔の悪人が皆、最後は亡びたことについて語り、義は重く、命は軽きことを説く。 

  

▽ 敵の強弱 

 敵が強いか弱いかを計るというのは、敵将の剛臆・智謀、その臣下の勇臆・智謀、勇猛で名の知れた兵などを知って、君臣ともに弱いと判断すれば、これを倒す。強いと判断すれば、それに勝つ謀をなすことをいうのである。 

  

▽ 勢の多少 

 我が国の広狭と敵国の広狭を計り知って、軍勢の多い少いを知る。これゆえに、民百人を所掌する者は、日本の広狭を知り、全国六十余州の大小、国々の人の風俗、民衆の能力や経済状態を知るのである。これが将の学ぶべきことである。また、味方の人数を知って、両陣の中間に出て、互いの陣を見合わせて、勢の多少を知ることがある。さらに、通り過ぎる軍勢の先頭から最後尾までを隠れて見て知ることもある。 

  

▽ 地の利・平・鈍 

 また、地の利・平・鈍とは、地形が嶮しいか、大河か、沼などがあることで、敵が攻め寄せて来るときに、防ぐのが容易であるのを「利」という。「平」とは、平らな地である。「鈍」とは味方にとっては不利であり、敵が攻めて来るのに有利であるのをいう。 

  

▽ 人の和 

 人の和には二つある。一つには、敵の大将にその配下の兵士が懐(なつ)いているのは和である。二つには臣下が互いに威を嫉(そね)むことなく、親しんでいるのは和である。敵の内部が和であれば、少敵であっても強い。不和であれば、大敵であっても弱い。 

  

▽ 天の時 

 天の時というのは、必ずしも天の時が悪ければ、戦に負けるというものではない。 

 天の時という条件は、諸軍を勇気づけるためのものである。兵士の心が勇めば、戦に有利である。兵士が恐れていれば、戦に不利である。このため、将自らが進んで士気を高める上で最も望ましいのが、天の時を考えることである。 

 将が十分に天の時を知っていれば、どうして攻め寄せて勝たないことがあろうか。兵が勇敢であれば、小をもって大に勝つのである。さらに、出陣にあたって武運、戦勝を祈願する神として九万八千の軍神がある。天の時というものは、確かにある。これは信じなければならない。ただし、天の時は地の利があるのには及ばず、地の利があるのは人の和があるのには及ばない。人の和は、将の智謀によるのだ、とされている。最も知るべきことである。 

  

▽ 敵将の謀勇の判別 

 また、敵の将軍の謀(はかりごと)や勇猛さを知るとは、その将軍の勇猛さを多く聞いて知るだけでは、疑わしいのである。そこで、その将がこれまで勇猛であったかどうかを調べるのである。 

 謀は、常々語っていたこと、行動したことから知ることができる。これらのことをよく知り、時に当たって分別して、進むべきであれば進み、退くべきであれば退くのを良い将軍という。 

  

▽ 将の器ではなかった大塔宮 

 「兵の勇」とは、剛力・早業・弓馬・太刀打ちなどで人に優れて利があるのをいう。しかるに、大塔宮が修練された武芸とは、全て一兵卒としての器量のお嗜(たしな)みであって、全軍の総指揮官たる将軍としての器量ではなかった。これを例えれば、猿の水練、魚の木登りであろうか。 

 これは、将が兵の勇を嗜むのを悪いということではない。将の道を専(もっぱ)らに学んで知ったその後に、兵士の器量を身につけようとするのが最も正しい方法なのである。 

  

▽ 将の道を知っていながら修練しないのは「無道」 

 『太平記』には、大塔宮が兵と将の二つの勇をともに叶(かな)えられた方だと書いてある。しかし、この部分が記された当時、大塔宮は威を天下に振るい、奢(おご)りを極めておられた。このように、大塔宮が将の道に叶っておられなかったことは、天下が治まって後の御行跡(ふるまい)から知ることができる。どうして将の道に叶う人が、みだりに奢りを極めるであろうか。極めはしない。 

 将の道を知るものは稀(まれ)である。将の道に叶う人はさらに稀である。また、叶わないながらも身につけようとして鍛錬する者があるが、これで良いのである。 

 四句の分別というものがある。これは、ある主題について肯定と否定の組み合わせで四種の述語をつけて考察することである。 

 将の道を知って、修練するのが上である。 

 将の道を知らずして、修練もしないのは相手にしてはならない。 

 将の道を知らずして、正しくないことを修練するのはよい。 

 将の道を知っていながら修練しないのは、無道である。速やかに討つべきである。 

 道に叶うことができるのが聖人である。しかし、末代にはほとんど存在しない。 

  

(「将の道」終り)

2014/6/6