【第5回】神仏を信じるということ
▽ ごあいさつ 

 皆様、こんにちわ。日本兵法研究会会長の家村です。 

 『太平記』を読んで驚かされるのは、そこに出てくる軍勢の兵数の多さです。小さな山一つを「数十万」や「百万」余騎で囲むといった、現実にはありえないような描写がいくつも記されています。 

 『太平記秘伝理尽鈔』では、こうした軍勢の兵数の誇張について、それぞれの合戦ごとに詳しく解説しております。たとえば、赤坂城の寄せ手(攻撃側)は『太平記』では三十万騎とされていますが、『太平記秘伝理尽鈔』では、これについて以下のように解説しています。 

(引用開始) 

 古い書には四万余騎とある。元国にこの書を渡す時、三十万騎と書きなおしたのである。その理由は、異国(元国)でも周辺の国に書を渡すにあたっては、このように実数よりも大きく書きなおすからである。 

 それでは、(日本は)元国には、どれほどの虚偽の話を流したのであろうか。この「四万」を「三十万」に増やしたのは、七倍に膨らませたということである。その中でも西国の軍勢については、実数の三倍とした。西国の実情は、異国におおよそ知られている(注:つまり、嘘がわかってしまう)。東国であれば、元国も知ることがないからである。 

(以上、「太平記秘伝理尽鈔巻第三 赤坂城軍(いくさ)の事」より) 

 異国に誇張した兵数の情報を流すことは、侵攻に対する抑止力となります。このように、当時の日本も外交を通じた「情報戦」を展開していたことを物語っており、たいへん興味深いものがあります。 

 それでは、本題に入りましょう。 

  

【第4回】神仏を信じるということ 

  

▽ 赤坂城の落城と楠木正成の脱出 

 関東から来援してきた鎌倉幕府方の大軍は、近江国に入る前に笠置の城が落ちたことを知り、伊賀や宇治を経由して、楠木正成が立て籠(こも)っている赤阪城に向かった。 

 赤坂城を包囲した幕府軍に対して、正成は選抜した強弓二百人を城中に配置するほか、塀を二重にこしらえて敵兵がこれをよじ登ると崩したり、熱湯や煎った砂、糞尿などを浴びせるなど、さまざまな機略をめぐらして翻弄(ほんろう)した。しかし、急ごしらえの城のため、兵糧の準備が不十分だったので、自ら城に火を放ち、自害したように見せかけて、行方をくらませたのであった。 

 小雨が降る夜中に楠木の軍勢は、武具をはずして三人から五人づつ敵兵に紛れ、静かに落ちて行った。楠木正成が幕府軍の侍大将・長崎高貞の陣前を通過していると、敵の兵士から「詰所の前を了解も得ずにそっと通っていくとは、何者だ」ととがめられた。 

 正成は、「大将の身内だが、道を間違えたようだ」と言いながら、足早にその場を去ろうとした。しかし、敵兵は「怪しい奴だ。馬泥棒ではないのか。射殺してしまえ」と近くに走り寄って真正面から弓を射た。 

 敵兵が放った矢は、正成の腕に命中したが、突き刺さることもなくはね返った。矢が当った部位には、正成が肌身離さず持っていたお守りがあり、その中に入っていた観音経の「一心称名」と書かれた二句の偈(げ)に、矢の先が刺さったまま残っていたのであった。このことにより、正成は命を落とすことなく二十余町(約2キロメートル以上)を逃げ延びることができた。 

(注)偈とは、経典の中で、詩句の形式で仏や菩薩の教えを説いたもの。 

  

▽ 正成、神仏を信じる心を語る 

 正成は、観音経を長年信仰し、読誦を続けてきた。正成に当った矢が、観音経の一心称名の偈によりはね返されたことについて、後に正成は、家来たちに次のように語っている。 

(以下、「太平記秘伝理尽鈔巻第三 赤坂城軍の事」より) 

 勇士であるならば、取り分け神仏を信じるのは、良いことである。信じるというのは、常に精進し、水こりの行をして、神仏を拝み奉り、御名を唱えることだけをいうのではない。神仏の掟(おきて)を堅く守るということが肝要である。 

 それは、一つには約束を違えず、虚言をしないことである。一切の禍は、虚言から発する。仏は妄語を戒めと説き、神は謀計の詞(ことば)を「あだし言(空しい言葉)」として、大いに穢れているとされる。 

 そうであっても、国のため、諸人のためであれば、謀計もあらねばならない。これは方便であって、やむを得ないものとされる。ただし、一身を栄えんがために、虚言だけを言って諸人を迷わせ、上を掠(かす)めるのは、大いに無道なのである。これでは神にも仏にも憎まれ、諸人にも指をさされることになる。 

  

▽ 神仏の掟、その2―無欲と慈悲 

 二つには、我のみ栄え、慈悲がないようではいけない。仏はこれを独覚と戒め、神は「味気無し(あじきなし)」として追いやられる。 

 我のみが栄えれば、乱の端緒となる。我が人を捨てれば、人も我を捨てる。我がこれを取ろうと欲すれば、人もこれを取ろうと思う。これゆえに争いが生じるのである。争いが生じるがゆえに、強い者は勝ち、弱い者は負ける。負けるがゆえに弱い者は強い者に従う。火に薪(たきぎ)を加えるように、強い者は益々強くなるので、奢侈(ぜいたく、おごり)が出てくるのである。 

 驕りを極めて、君主を崇(あが)めることなく、民をないがしろにして、侮(あなど)る。このようになれば、国は乱れて家は亡びるのである。こうしたことから、我のみが栄えることは、仏神ともに禁じられるのである。 

  

▽ 神仏の掟、その3―身と意の不浄を誡める 

 三つには不浄である。それには二つある。一つは「身」の不浄、もう一つは「意」の不浄である。 

 身の不浄というのは、魚鳥を喰い、妄りに妄淫をなすような類いを根本とする。また、神の禁(いまし)めに、死ぬことの不浄を忌むことがある。これは、生きることを堅く誡めるためである。 

 次に意の不浄というのは、欲心が深く、人を養育するという考えが無く、財宝をいたずらに集め積んで楽しみ、我が身の為に使うときは砂石を散らすかのようになるのを云う。 

 身の不浄は罪が少ないが、意の不浄は禍(とが)が多い。今の人は拙(つたな)くして、この道理を知らない。朝と暮れに行水を好んで神仏を礼拝しながら、意の不浄というものを知らない。親孝行をせず、君主への忠節心が無い。欲心が深くて、またその願いを聞けば、金銀・米銭などで満たされることを祈り、玉楼・金殿の数を並べることを願いとする。 

 かりにも正しい道を祈らずに、どうして神仏が受けて下さることがあろうか。身に徳が無くして栄えるのは、不義の富貴であり、浮かんだ雲のようなものだと言われる。先ず身を栄えたいと欲する者は、その身の徳を分別しなければならない。身に徳が備われば、自ら富んで必死の難を遁(のが)れるのである。 

 正成は至らずといえども、少しはこの道理を嗜(たしな)んでいるので、このように仏神の憐れみがあったのだ。 

 正成は、家来たちにこのように語ることで、人の道を教え諭したのであった。 

  

▽ 言行一致であった楠木正成 

 正成が口先だけで、このようなことを言って、身にその行いが無ければ、どうして人は信頼したであろうか。その道を行ってきたがゆえに、世の人々も正成の言葉を信じたのであった。 

  

(「神仏を信じるということ」終り)

2014/6/20