書 評
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成26(2014)7月16日(水曜日)より 

死を前に冷静に遺書を書いた英霊たちへの鎮魂 

  大西滝治郎中将はみごとに責任を取って自刃した 

  

♪ 佐藤守『お国のために 特攻隊の英霊に深謝す』(青林堂) 

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 特攻隊については夥しい書物が出ている。隊員たちは進んでお国のために尊い命を捧げた。靖国神社に祀られ、護国の神となって祖国の行く末を見ている。 

 いかに祖国がだらしない魂が抜けてしまった敗北主義に充ち満ちているかを英霊立ちはどのような苛立ちと怒りで見ているのだろうか。 

  

 元パイロットだった佐藤氏は、すでに多くの著作があるが、こんかいは長年、氏が暖めてきた神風特別攻撃隊に挑んだ。 

 大西中将は、最初に特攻隊を送り出すとき、次の訓辞をした。 

 「日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。勿論、自分のような長官でもない。それは諸氏のごとき純真で気力に満ちた若い人々のみである。したがって自分は一億国民に代わって皆にお願いをする。どうか成功を祈る。皆はすでに神である。神であるから欲望はないであろう。が、もし有るとすれば、それは自分の体当たりが無駄でなかったかどうか、それを知りたいことであろう。(中略)。だが、自分はこれを見届けて、必ず上聞に達するようにするから安心して行ってくれ」。 

 特攻隊員のひとり、古川正崇海軍中尉は日記を残した。 

 「死を嫌い、兵をいやに思う自分が、しかも兵隊となり必死を予測される飛行機を選び、祖国のために喜んで死にゆく事実を世の人は心してみるがいい」(昭和十八年九月二十三日) 

 「自分が真実のまじめな考えに更ける時、一方において安逸の生活をむさぼっている人間を考えるときに自分の気持ちは不公平な階級を恨むのだ。我らは死は厭だといっても戦死を覚悟している死ぬことを知っていても、敵の中に飛び込んでいける。この気持ちは、たとえ自分が孤独であると知りつつ、自分の周囲に是を聞いてくれる人を持ちたいのだ」(昭和十八年九月二十四日) 

  

 敗戦の翌日、大西中将は責任をとって壮絶な切腹を遂げた。 

 大西滝治郎の遺書。 

 「特攻隊の英霊に申す。善く戦いたり深謝す 

  最後の勝利を信じつつ、肉弾として散華せり 

  しかれどもその信念はついに達成し得ざるに到れり 

  吾死をもって旧部下の英霊と遺族に謝せんとす」 

   ところで未亡人となった大西夫人は、戦後をどう過ごしたのか。家も家財も空襲で消失しGHQから未亡人への扶助料も打ち切られ、薬瓶を売る毎日だった。日射病で行き倒れ、それを助けたのが元海軍兵曹。この伝から零戦のエース、酒井三郎の縁につながり、酒井が経営した印刷会社で働き始めた。 

 「戦後十数年経って特攻記念碑と大西中将の墓の再建後の法要が行われた時、特攻隊の遺族に対して淑恵未亡人は『お気持ちを察し、自分はどう生きるべきか心を砕いて参りましたが、結局、散って行った方々の御霊のご冥福を陰ながら祈り続けることしか出来ませんでした』」と涙した。 

 未亡人は享年七十九歳でみまかり、大西家は断絶した。 

 いたずらな反戦平和、憲法九条を呪文のように唱える人々は英霊に唾していることになるが、その自覚はあるのだろうか?

2014/7/16